小さな挑戦が「大きなプロジェクト」へ
実はこの時、私が全く目を向けていない大きな問題が一つありました。それは本州のメーカーが北海道に進出してくる可能性です。私を含め、当時の北海道の菓子メーカーは、基本的には本州メーカーの動向を気にしていませんでした。気にしていないというよりは、気にする必要がなかったといったほうが正確かもしれません。というのも、本州と北海道は物理的に離れていて、商品を運ぶためのコストや時間がかかるため、本州のメーカーが北海道の市場に進出してくるケースがほとんどなかったのです。
これは逆も然りで、私を含む道内の同業他社が、本州の市場に手を伸ばすこともほとんどありませんでした。つまり、物流にかかるコストがお互いにとっての参入障壁となっていたわけです。
しかし、今になって考えれば当たり前のことなのですが、物流網は改善されていくものです。本州にはすでにカシューナッツの菓子を作っているメーカーがいますから、北海道に拠点を持ち、菓子作りをスタートする可能性も十分にあります。そう考えると、カシューナッツ菓子を完成させ、北海道市場でシェアを取ることができたとしても、その優位性は時限的です。
私はこの時、美味しいカシューナッツをどうやって作るか、という点にばかり注目していましたが、本当ならこのタイミングでさらに先を見据え「本州メーカーが進出してきたらどうするか」「本州メーカー相手に戦えるだろうか」といったことを考えなければならなかったのです。
この問題を見逃したことが、のちに事業を根幹から揺るがすことになります。本州メーカーの美味しくて洗練された菓子が北海道市場で大量に売られるようになり、本州メーカーとは違う路線、違うアプローチを模索することで、事業モデルを根幹から変えることになるのです。新たな脅威のタネが育ちつつあったにもかかわらず、私は時流を読み切れず、カシューナッツ作りに没頭していました。とはいえこれは仕事としてはやりがいがあり、とても楽しく、バターピーナッツの売り上げ減少分を埋めるという目先の課題を解決することにもつながっていきました。
カシューナッツの菓子作りはバターピーナッツ用の機械を流用します。ただ、うまく味付けするためには部分的に機械を改修する必要がありました。この分野は私の仕事です。設計を考え、足りない備品を注文し、回転数が足りない機械はギアを取り換えました。ついでに作業効率も良くしようと思い、作業台を低くしたり、明るさが足りない場所の電球をワット数が大きいものに取り替えたりといったことも行いました。
そのようなことに取り組んでいると、周りの従業員も徐々に興味を持ち始めます。バターピーナッツ作り一辺倒で、しかも、生産量が徐々に減っていく不安の中で、一筋の光が見えるような変化や刺激が求められていたのです。3人でスタートした新菓子開発のプロジェクトは、5人になり、10人になり、そして人が増えるほど知恵やアイデアも増えていきました。
従業員たちのアイデアを試し、課題を整理し、問題点を共有していくと、ぼんやりとですが完成品もイメージできるようになりました。失敗を繰り返しつつ、糖度や粉の配合を変えて試行錯誤していく中で、私は完成品に近づいている実感を得ました。知恵や技術を持ち寄って良いものを作る、ものづくりの楽しさも実感しました。
そして1981年、イメージ通りのカシューナッツ菓子が完成しました。これがのちに私の会社のロングセラーとなる焼カシューにつながっていきます。カシューナッツを「アベック」にすることなくコーティングする独自の技術を完成させ、当社にとっての新たな商品、豆業界にとっては味付けカシューナッツという新たなジャンルを作り出すことができたのです。
池田 光司
池田食品株式会社 代表取締役社長
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