芸人後輩時代、ビビる大木氏は先輩から「スポーツ新聞を買ってこい」と頼まれるたびに何かできないかと考えていたという。ある日、新聞と一緒に購入したものを渡したとき、先輩芸人は「あ、いいね」と返事をしてくれたという。20代前半のビビる大木氏が気づいたこととは。

【関連記事】ビビる大木も感動!銀座の天ぷら職人が、跡取り息子に「何も教えない」深い理由

座右の銘「明るく・楽しく・激しく」

知るより好く、好くより楽しむ。楽しむになると、困難にあっても挫折しない
ただこれを知ったばかりでは、興味がない。好むようになりさえすれば、道に向かって進む。もし、それ衷心より道を楽しむ者に至っては、いかなる困難に遭遇するも挫折せず、敢然として道に進む。
【『論語講義(二)』雍也第六】

 

■三つ目の座右の銘

 

僕は欲張りですね。座右の銘がまだありました。

 

僕がすごく好きなのは、幕末もそうですが、プロレスもまた好きなのです。ジャイアント馬場さんが全日本プロレスのモットーとしていたのが、「明るく・楽しく・激しく」です。僕はこの言葉が好きで、座右の銘にしました。

 

全日本プロレスも見ていましたが、僕は新日本プロレスをよく見ていました。見ながら、「明るく楽しい戦いとは何だろうな」と考えていました。プロレスファンの方たちは、「もっとヘビーで、殺伐とした試合を求めているのではないか」と思っていたからです。

 

大人になり、40歳を過ぎたあたりから、「猪木さんと馬場さん、僕は両方好きですが、馬場さんの存在はやはりすごかった」と思うようになりました。ですから、「明るく・楽しく・激しく」という意味合いも、「明るく楽しくして、そこに激しさがあるといいよな」と、40歳を過ぎてからしっくりしてきました。その激しさの中に、馬場さんは強さとか、ときにははみ出す意味も含んでいたのではないかと思います。

 

馬場さんは、ルールを破った人間をあまり好きではなかったようです。ギャンブルばかりしていた選手をクビにするなど、「レスラーである前に、人であれ」と語っていました。もともと巨人の投手でしたから、そのようなことをおっしゃるのだと思います。

 

猪木さんはモハメド・アリや柔道家と試合をすることで、プロレス界に異種格闘技を持ち込みました。馬場さんも異種格闘技を1試合だけやりましたが、基本、馬場さんは猪木さんが異種格闘技に走ったので、プロレス道に突き進みました。

 

「向こうが格闘技的なことをやるなら、こちらは純プロレスでいこう」と思ったに違いありません。途中から、一切、格闘技を入れなかったのです。

 

■ライバルは理想を高める、純化させる

 

たぶん猪木さんが考えたプロレスを実践しなかったならば、馬場さんはどんなプロレスをしていたか、わからなかったのではないかという気がします。お互いが影響し合うことで、あのようになったのでしょう。猪木さんの異種格闘技があったから、馬場さんは純粋にプロレス道に進むことができたとも言えます。

 

僕の想像ですが、「明るく・楽しく」の中には「正しく」という意味も入っていたのかもしれません。

 

僕もネタでたまに使うのですが、「たかがビビる、されど大木」というのも、座右の銘になりそうな気がしています。自分の芸能生活はその一言に尽きるかなと思うからです。

 

巨人軍のエースだった投手の江川卓さんの書籍に、似たようなタイトルの書籍がありました。『たかが江川されど江川』。その書名が僕の頭に残っていました。名球会入りの条件である200勝投手ではありませんが、江川さんは高校時代から「怪物」でした。全盛期の日米野球では、大リーガーの打者から、三振をガンガン奪っていました。

 

「ビビるだけど、されど大木だな」とは、その上と下の芸人に挟まれた人間の哀愁が世に伝わればと思い、使い始めました。まさに、「お笑い中間管理職」の独白です。

 

次ページ気づける人と気づけない人の決定的な違い

※本連載は、ビビる大木氏の著書『ビビる大木、渋沢栄一を語る』(プレジデント社)より一部を抜粋・再編集したものです。

ビビる大木、渋沢栄一を語る

ビビる大木、渋沢栄一を語る

ビビる 大木

プレジデント社

歴史好き芸人・ビビる大木が、 同郷の偉人・渋沢栄一の遺した言葉を紐解く! 「はじめまして、こんばんみ! 大物先輩芸人と大勢の後輩芸人の狭間で揺れる40代『お笑い中間管理職』の僕。芸人としてこれからどうやって生き…

人気記事ランキング

  • デイリー
  • 週間
  • 月間

メルマガ会員登録者の
ご案内

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

メルマガ登録