ビビる大木、悩める「お笑い中間管理職」に響いた渋沢栄一語録

ビビる大木氏は40歳を過ぎてから「お笑い中間管理職」という意識が生まれてきたという。70代、60代の先輩芸人は元気である。年下の後輩芸人たちは自分を追い越していこうとする。どうしたら芸能界で生き残れるのか。ビビる大木氏が焦りのなかで惹かれた渋沢栄一の言葉とは。

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「お笑い中間管理職」の意識が生まれてきた

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僕も40歳を過ぎてから、「お笑い中間管理職」という意識が次第に生まれています。僕の上にはたくさんの先輩がいます。たけしさん、タモリさんは70代、笑福亭鶴瓶さん、明石家さんまさんは60代。実際のところ、70代、60代の先輩芸人の方たちはよほど元気で、当面引退しそうにありません。

 

たけしさんやタモリさんになると、僕は幼稚園の頃から見ていた記憶があります。幼稚園のときに見ていた僕は40代半ばになっても、まだ見ています。先輩芸人の方たちと、まだ仕事で一緒になることがあります。普通の会社で60代、70代の先輩がいる職場はあまりないはずです。

 

また、60代のその下の世代には、とんねるずさん、ダウンタウンさん、ウンナンさんなどの50代の方たちが、その少し下にネプチューンさん、くりぃむしちゅーさんの50代前後の方たちがいるわけで、みなさんもすこぶる元気なんです。

 

徳川家康さんの「ホトトギス 鳴くまで待とうホトトギス トホホ」、字余り!

 

僕には、家康さんの気持ちが痛いほどわかります。先輩芸人がたくさんいますから、「いつも後輩だ、若手だ」という感覚が僕には長くありました。現場に行けば、僕より先輩の芸人の方たちがたくさんいますから、つい後輩気質になってしまいます。

 

しかし、自分よりも年下の後輩芸人たちもさらにいっぱいいます。自分でも知らない間に、結果として中間管理職みたいな存在になりました。35歳の頃に、古舘伊知郎さんに指摘された「大木くんは、お笑い中間管理職だね」に、いつまでも「自分が下っ端、一番下にいる」という感じは通用しないことを理解しました。

 

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    1974年9月29日生まれ。埼玉県春日部市出身。1995年、渡辺プロダクションに所属し、コンビ「ビビる」を結成。2002年にコンビ解散、以後ピン芸人としてマルチに活躍中。

    現在、テレビ東京「追跡LIVE!SPORTSウォッチャー」、テレビ東京「家、ついて行ってイイですか?」、中京テレビ「前略、大とくさん」でMCを務める。

    趣味は幕末史跡めぐり。ジョン万次郎資料館名誉館長、春日部親善大使、埼玉応援団、萩ふるさと大使、高知県観光特使など、さまざまな観光・親善大使を務める。

    【主な著書】
    『覚えておきたい幕末・維新の100人+1』(本間康司・ビビる大木著、清水書院)
    『知る見るビビる』(ビビる大木著、角川マガジンズ)

    著者紹介

    連載ビビる大木、渋沢栄一を語る

    ※本連載は、ビビる大木氏の著書『ビビる大木、渋沢栄一を語る』(プレジデント社)より一部を抜粋・再編集したものです。

    ビビる大木、渋沢栄一を語る

    ビビる大木、渋沢栄一を語る

    ビビる 大木

    プレジデント社

    歴史好き芸人・ビビる大木が、 同郷の偉人・渋沢栄一の遺した言葉を紐解く! 「はじめまして、こんばんみ! 大物先輩芸人と大勢の後輩芸人の狭間で揺れる40代『お笑い中間管理職』の僕。芸人としてこれからどうやって生き…

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