「僕、引退する」ビビる大木が相方の決断を尊重した納得の理由

「僕、引退する」と相方が言ってきたとき、コンビで活動して7年が経過していた。ビビる大木氏は、「あ、こいつの決断は、お金に困って辞めるわけじゃないな。ちゃんと考えがあっての決断だな」と思ったといいます。※本連載は、ビビる大木氏の著書『ビビる大木、渋沢栄一を語る』(プレジデント社)より一部を抜粋・再編集したものです。

【関連記事】ビビる大木も感動!銀座の天ぷら職人が、跡取り息子に「何も教えない」深い理由

お金に困って引退するわけじゃない

人は理想を持たねばならぬ、その理想の実現が人の務め
およそ目的には、理想が伴わねばならない。その理想を実現するのが、人の務めである。
【『渋沢栄一訓言集』処事と接物】

 

■「主義ある行動をとる」

 

仕事には理想があり、仕事をしつつその理想に向かっていくのだと思います。あるいは、人によっては仕事をやりながら、理想が見えてくることもあります。僕は20歳で芸人を始めましたが、その頃はインターネットも今ほど普及していなくて、テレビかラジオに出演するのが仕事のメインでした。

 

しかも、「有名になるにはテレビのほうがいい」という雰囲気がまだ色濃くありました。ゴールデンタイムで冠番組を持つことが成功だと多くの人が感じていました。ラジオでは、「オールナイトニッポン」をやらせてもらえたら、「ありがたいお仕事だな」と思われていた時代でした。そういう時代を見て育ち、僕は1995(平成7)年に、この世界に飛び込みました。

 

ところが、仕事をやっていくうちに、テレビ・ラジオ・インターネットの関係がゴチャッとしてきました。そのうちに考えが変わってきたからか、当初の理想を追い続けていましたが、次第にそれは理想ではないということになりました。目指している世界が変わり、芸能界の中で変化が起こってきたからです。

 

46歳になり、芸人を続けることの大変さを思いつつ、これからのことを考えるとどうでしょうか。(GGO編集部注:2020年に執筆した時点の数字です)

 

運が良いことに、僕は芸人を辞めたいと思ったことがありません。相方は27歳のときに芸人を辞めました。コンビを解散したのです。7年ほど一緒に活動してきて、相方は引退しました。

 

相方の芸能界での仕事ぶりと世間の認知度は、少しズレていました。芸能界的には、「あいつ、けっこう頑張ってテレビに出ていたよな」という評価でしたが、普通の人と話すと「え、よく知らない」と言われました。業界内では、「こいつは来ているな」ということを何となく察した後に、世間の気にしていない人たちの間に認識が広がるという感じです。

 

コンビを解散するとき、僕たちには仕事がありましたし、給料もそれなりにもらっていました。その状態で、「僕、引退する」と相方が言ってきたので、「あ、こいつの決断は、お金に困って辞めるわけじゃないな。ちゃんと考えがあっての決断だな」と思いました。これはこれで一つ素晴らしい決断だなと思いながら、「じゃあ、おまえがそう思うならいいんじゃないか」と、僕は言いました。

 

ワタナベエンターテインメント 芸人

1974年9月29日生まれ。埼玉県春日部市出身。1995年、渡辺プロダクションに所属し、コンビ「ビビる」を結成。2002年にコンビ解散、以後ピン芸人としてマルチに活躍中。

現在、テレビ東京「追跡LIVE!SPORTSウォッチャー」、テレビ東京「家、ついて行ってイイですか?」、中京テレビ「前略、大とくさん」でMCを務める。

趣味は幕末史跡めぐり。ジョン万次郎資料館名誉館長、春日部親善大使、埼玉応援団、萩ふるさと大使、高知県観光特使など、さまざまな観光・親善大使を務める。

【主な著書】
『覚えておきたい幕末・維新の100人+1』(本間康司・ビビる大木著、清水書院)
『知る見るビビる』(ビビる大木著、角川マガジンズ)

著者紹介

連載ビビる大木、渋沢栄一を語る

ビビる大木、渋沢栄一を語る

ビビる大木、渋沢栄一を語る

ビビる 大木

プレジデント社

歴史好き芸人・ビビる大木が、 同郷の偉人・渋沢栄一の遺した言葉を紐解く! 「はじめまして、こんばんみ! 大物先輩芸人と大勢の後輩芸人の狭間で揺れる40代『お笑い中間管理職』の僕。芸人としてこれからどうやって生き…

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

登録していただいた方の中から
毎日抽選で1名様に人気書籍をプレゼント!
会員向けセミナーの一覧