社員は理念を理解、共有するパートナーか
その橋本氏が三代目社長に就任するのは、2005年。その時期、米国製の小ロットデジタル印刷機に出合う。試作機に近いもので、1台約2億円。父親と激論の末、購入を決めるが、当初その印刷機は収益を生まず、業績は2年間低迷を続けた。
そうした中で、橋本氏は紹介する人があって東京中小企業家同友会の品川支部に加わった。しかし、「労使見解」に違和感を抱いて、経営指針成文化セミナーには参加せず、もっぱら先輩経営者たちの経営談を聞く会合のみに参加していた。それはそれで学びが多かった。
やがて新鋭デジタル印刷機械は収益の大きな力となり、焼津市の工場を18億円かけて増改築することにした。ところが、好事魔多し。契約を終えて間もなく東日本大震災が起きた。5月、6月と売り上げは激減し、翌年、翌々年と続いた。
そこで、役員の手当や賞与を下げる一方、橋本氏は工場の深夜労働勤務手当を廃止することを提案した。社員とのコミュニケーションはうまくいっているから、受け入れてもらえると十分自信を持っていたが、労使交渉の場は大荒れになった。「あんたが茶業界に絞るから、こうなったんだ」「俺たち深夜勤務の人間は命を削って働いているんだ」……。
橋本氏は大きなショックを受け、これまで忌避してきた同友会の「経営指針成文化セミナー」に出席、自分自身を鍛えなおす一方、社員の意向を汲みつつ、自分の想いを十分に伝えられる経営理念を創り上げようと決意する。2014年春のことだ。
■経営と商品開発での、ぶれない姿勢
経営指針成文化セミナーの場で、サポーター役の先輩経営者が突然、橋本氏にこう尋ねてきた。「サンタクロースの経営理念ってなんだろうね」と。「子供たちに夢を届けることじゃないですか」。そう答えると、彼は穏やかな表情で、こう応じた。
「そうだよね。もしそれがなかったら、サンタクロースの仕事というのはひどい深夜残業で、3K職場だよね。だって真冬の夜中、ビュービュー北風が吹く中を、トナカイに乗って配達に走りまわらないといけないのだから。しかも汚れた煙突の中を汚れないよう下りていって、子供たちが目を覚まさないようにそっとプレゼントを置いて一目散に帰っていく。子供に夢を届けるのだという経営理念がなかったら、サンタクロースなどとてもやっていられないよね」
このたとえ話を聞いているうちに、橋本氏ははたと気づいた。「労使交渉の場における当社の社員は、理念のないサンタクロースだったのだ」と。もう少し正確に言うならば、「お茶屋さんから感謝される仕事をする」という橋本氏と理念を理解、共有するパートナーではなかったということになるだろう。そういう努力もしてこなかったのだ。
経営指針成文化セミナーを修了した翌春、橋本氏は自身で作成した経営理念、10年ビジョン、経営方針、経営計画という一連の経営指針について、この間の経緯も含めて役員会で報告し、論議を交わした。
基本となる経営理念は「想いを包み、未来を創造するパートナーを目指します」という言葉にまとめていた。従来の理念は自分でも上手く説明できないものだったが、今回は十分説明できる自信があったし、他の役員から出された疑問についても言葉を換えれば、きちんと説明可能だった。結局、新しい経営理念はそのまま同社の企業理念として使われることになった。