【関連記事】精神科医として伝えたい…「孤独でいること」の驚くべき効果
同調圧力に屈することは絶対にしない
■つねに「アウェー」だった子ども時代
私は子どものころ、ずっといじめられっ子でした。
小学校2年生で大阪から東京へ引っ越したときには「大阪弁をしゃべる」といじめられ、4年生で大阪に戻ってきたときには「東京の言葉を使う」といじめられました。
子どものころから人とのコミュニケーションの取り方が下手で不器用、うまく周りとなじめないうえ、過去にいじめられた経験もジャマをして、父親の仕事の関係で引っ越しが多かったのに、ゼロから人間関係を築いていくのが本当に苦手だったのです。
私は広島には住んだことはありませんが、広島カープのファンです。
理由は単純で、東京の人なら巨人ファン、大阪の人なら阪神ファンであるべきだという「押し付け」を心の底から嫌悪したからです。
「地元」という感覚が乏しく、つねに「アウェー」にいるような気分を味わっている子どもにとって、そこの“地元の星”のような野球チームをみんなと一緒になって応援するというのは、なかなか耐え難いことです。
「自分をいじめるような人間たちと同じ野球チームなんか、応援するか!」という反骨精神もあったでしょう。私にとって巨人や阪神を応援するというのは、嫌われないために人の顔色を窺うこと、同調圧力に屈することに他ならず、「そんなことは絶対にしたくない!」と思ったわけです。
いじめられた子どもは「自分は受け入れられない人間なのだ」という疎外感と直面することになります。
自信もなくしますし、「受け入れられないのは自分が悪いからだ」というネガティブな思考に落ち込むこともあります。
私だって、一歩間違えば自分というものを失くしてしまって、つねに人の意見に迎合するオドオドした人間になっていたでしょう。
しかし、私が今、曲がりなりにも自分の意見を言うことで仕事ができているのは、「自分にも悪いところはあるかもしれない。でも、いじめられるのは私が悪いわけではない」と、自己否定に走らずにすんだからです。そしてそれは、エジソンの場合と同様、母のおかげだと言えます。
私の母は少々変わり者で、東京に引っ越して私がいじめを受けたときには、
「そんなもん、東京の人間のほうが田舎もんなんや。相手にせんでええ! 歴史的に見ても大阪弁のほうが古いんや!」
と言い放ち、息子がいじめられているという現実にオロオロしたようすはまったく見せませんでした。それどころか、
「東京なんか田舎もんが作った街や。東京の言葉になんて合わせる必要はない」
と、いじめる側の文化を全否定した。
たしかに言われてみればそうなのです。「東京だから偉い」ということはない。
でも、もしこれが、
「東京に来たんだから、あなたも標準語をしゃべりましょうね。そうすればいじめられたりしないはずよ」
などと言う親だったら、私はきっととんでもないダメ男になっていたと思います。