40代くらいから、親とゆっくり旅をする。お茶に行く。お酒を飲みに行く。
じつは人生におけるとても有意義な時間です。
そんなときに親が40代の頃はどのような気分だったのか、どう乗り越えたのかをさりげなく聞いた話のなかにたくさんの生きるヒントが埋まっていることでしょう。
自分が50代以降になって、親との対話を思い出してみると役立つメッセージがいくつもありました。
親を失ってから思い出すことは「ああ、お父さんはあんなことを言っていたなぁ。お母さんはこんなことで喜んでいたなぁ」。
そんなことばかりです。
もっともっと話をしておけばよかったといつも思います。
ぜひともお父さん、お母さんと「生きがい、働きがい」についても語り合って下さい。
きっと深い対話になることでしょう。
人生二度なし、ムダなし、待ったなしです。
無償の愛にあふれていた母親を愛する幸せ
▼浅く生きる人=母親を愛していない
2019年の春に母親を亡くしました。
私は小さい頃から、母親と別れることが最大の恐怖で、仏教のいうところの「愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ)」は特にしんどいと思っていました。
神様は絶妙なシナリオを書きました。
母親は13年前に病を得てから医療型ホームで闘病する日が始まり、私も轍ができるほど1000回は通ったでしょうか。
もう最後は経管栄養だけで命を燃やしていました。
すでに私が愛した元気な頃の母親の姿ではありませんでした。
私自身、まさに巡礼をしながらさまざまな執着を放念したのかもしれません。
ところが、いろいろなことを丹念に思い出してみると、私が思うよりも、子を思う母親の愛の方がはるかに深いと思わざるを得ません。
幼い頃、夜中に肺炎で苦しむ私を背負い病院へ酸素吸入に駆けつけたり、私が一人暮らしをしていた頃に、季節の果物や缶詰とともに毎回、温かい手紙を添えて送ってくれたこと。
山ほどの思い出がこぼれてきます。
そのどれも無償の愛にあふれていました。
40代以降、孤独を感じることが増えてきます。
そんなときは素直にお母さんを思い、慕いたいものです。
夕焼けや星空をながめては、「会いたいよ」とつぶやく。
お母さんと一緒に見られたらと思う。
お母さんが恋しくて泣きたいときがある。
「星を見て 亡き母影と思う寂しさよ」 詠み人 松尾一也
この名句にはかないません。
「十億の人に十億の母あれど わが母にまさる母あらめやも」 暁烏 敏
やっぱり誰にとっても自分の母親が一番なのです。
松尾 一也
株式会社ルネッサンス・アイズ