当時の取り組み…「玄関先で怒鳴られる」などの壮絶
私は当時、母校・昭和大学の附属病院に勤務しておりましたが、病院のある品川区の大井保健センターと連携し、そうした高齢者の保健事業に関わる機会を得られました。当時の正式名称は「老人精神保健相談」といい、精神科領域の疾患の可能性がある高齢者を必要な医療へつなげる、というのが私の仕事でした。
1ヵ月に1回、地域住民や民生委員、警察などから区に情報の入った高齢者に対して、保健師とともに住まいを訪問し、精神科医の視点から相談に乗り、必要な医療や介護につなげるという仕事です。家族と同居していても医療機関へ行きたがらないというケースもありますので、第三者だけでなく本人や家族からの相談にも応じていました。
医師が直接、住民の住まいを訪問するのは当時全国でも珍しかったのではないかと思います。また高齢での有病率が高いといわれる精神疾患を専門的に診られるということで、品川区からは非常に頼りにされていましたし、私もやりがいをもって取り組んでいました。
この訪問では、ケーキと紅茶を出していただけるようなお宅から、天井近くまで積まれたゴミの山をかき分けながら進むようないわゆるゴミ屋敷まで、本当にいろいろなお宅を訪問し、さまざまな精神疾患を有する高齢者を診察してきました。すべてのケースで歓迎されるわけではありません。玄関先で怒鳴られ追い返されることもありました。
しかし、高齢者がどんな場所で、どのように生活しているのかは、病院の狭い診察室にいるだけでは決して分からないことです。
一見、しゃきっとして何も悪いところなどなさそうに見える方が、洗いものや洗濯ものが放置され腐った食品が床に転がっている……といった環境で生活していたり、暴力的で言葉遣いが荒くても、家の中はこざっぱりしていて生活態度にも病的な問題はなかったり、といったようなことも多々あって、「人は見かけだけで判断できない」と思い知りました。
これを診療に当てはめれば「5分程度診察室で話をするだけで分かることなど、たかが知れている」ということです。
この経験を通して「実際に生活している場を見て、生活を肌で感じること」がいかに病気を見抜く目を養うのに重要かを知りました。私にとってたいへん貴重な経験となりました。