地獄絵図…泰緬鉄道建設で連合軍医が作製した「即興医療器具」とは? (※画像はイメージです/PIXTA)

太平洋戦争中にタイとビルマ(現:ミャンマー)を結んでいた泰緬鉄道。その建設作業は、現地住民や、イギリス・オランダ・オーストラリアなどの連合軍捕虜兵士たちによって突貫で進められた。しかし、マラリアやコレラ等の伝染病により、労働環境や、捕虜収容所での生活は「地獄絵図」を極めた。そんな中、連合国の捕虜軍医たちは即興の医療器具を作って多くの命を救ったという。ジャーナリストの平賀匡氏に語ってもらった。

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日本側からの食料は米だけ

1941年12月8日の真珠湾攻撃を境に、日中戦争が世界戦争へと拡大し、日本は東南アジア地域において、イギリスやオランダと交戦状態になった。制空権・制海権が徐々に連合国側へ奪われていったこともあり、陸路での補給路を確保しようと、わずか1年4カ月の期間で泰緬鉄道が建設された。

 

この突貫工事において、最初に連合国の捕虜を苦しめたのが、ビタミン欠乏による栄養失調であった。日本側からの食料が米のみだったという栄養の偏重は、視力低下と脚気を引き起こした。画家でもあったイギリス人軍医、ジャック・チョーカーはビタミン欠乏について、「医療物資の補給路が断たれ、収容所には薬も無かったため、当然死亡率は上昇しました」と回想している。

盗んだパイプで蒸留機をつくる

当時の線路跡を歩いてみると、炎天下、かつ日本と比べて温度も湿度も高いため、喉の渇きを潤そうと準備したペットボトルの飲み物は、すぐに空っぽになるほどだった。
そうした環境下で1日16時間という過酷な肉体労働に励んだ捕虜たちは、当然ながら激しい脱水症状を引き起こした。

 

そこで連合国側の捕虜軍医たちは、盗んだパイプや古い缶・竹を使って蒸留器を作り、水分補給ができるようにした。このおかげで熱中症の死者数に減少傾向が現れ始めた。

 

しかし今度は、マラリア・デング熱・コレラ・赤痢などに、彼らは苦しめられた。複数の伝染病に罹り、倒れて亡くなる者も日に日に増加していった。それでもなお、患者を隔離せずに、労働を継続させたことによって、さらに伝染病が拡大した。

 

加えて、捕虜収容所の衛生状況は非常に悪く、汚物や蛆虫にまみれた環境は病を悪化させた。サソリやムカデなどの害虫も侵入し、追い討ちをかけるように捕虜を襲った。

 

日本側にも1000人以上の犠牲者が生じ、死亡した連合国の捕虜や現地住民の数は、少なく見積もっても10万人以上にのぼると推計される。

廃材から点滴器具、ピンセット、医療用マスクを

こうしたなか、医療活動を辛うじて支えてきたのが連合軍側の捕虜軍医である。前述の蒸留機のように、彼らは治療に必要な医療物資や医療器具が不足するなかで、捕虜収容所とその周辺にあるもので、即興の医療器具を考案していった。

 

激しい脱水症状を起こしたコレラ患者のために、聴診器のゴムと竹で作った点滴器具や、スプーンとハサミによる膿と蛆虫を取り除くためのピンセットなどを生み出した。

 

伝染病の蔓延を防ぐために、軍の支給したガスマスクとガーゼを使用した医療用マスクが開発され、マラリアやコレラなどの拡大を防ぐのに十分役立った。

米とイーストを発酵させて消毒液を

高温多湿な気候は傷口の腐敗を早め、ガス壊疽の発生を促したことによって、多くの患者が手足を切断せざるを得ない状況となった。

 

当然、医療物資や衛生物資が不足する環境では、麻酔なども無かったため、悲鳴を上げ、暴れ回る患者を複数人で押さえつけての手術となった。

 

そんな最悪の環境のなかでも、米とイーストを発酵させた消毒液や、盗んできたパイプや木材で作った義足や松葉杖、診察用椅子や牽引器付整形外科用寝台などが編み出された。

 

捕虜収容所の様子を記録することは厳禁であったが、ジャック・チョーカーにより克明に残され、現在でも彼の記録画を見ることができる。そこには、大工用のノコギリを使った足の切断手術や輸血の場面、治療の甲斐なく亡くなっていく患者の様子が描かれており、現場にいなくても「地獄絵図」の目の前に立った気にさせられる。

ジャングルの中、今も枕木が残る泰緬鉄道

現在、泰緬鉄道があった場所は元のジャングルに戻っているが、そのなかを歩くと外されたまま錆びついたレールや枕木が残っており、雨垂れのようにシミが残っている。

 

それを見ると、強制労働させられた連合軍の捕虜や現地住民の涙のように思えてならない。また、「ロウムシャ」・「ビンタ」・「バカヤロウ」という日本語が現地語化されて今でも残っていることを考えると、泰緬鉄道の残した爪痕はあまりにも大きい。

 

それでも、医療活動が困難であったなかで、連合国側の捕虜軍医の創意工夫と貢献によって、もっと増えていたであろう死亡者数を抑えられたことは、非常に重要なポイントであるといえる。
 

 

ジャーナリスト

1977年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒業後、民間企業勤務を経て、上智大学大学院史学専攻博士後期課程満期退学。研究領域は、満洲事変から太平洋戦争に至るまでの日中政治外交史で、同時期の鉄道史を中心に、戦争の裏側を探る。雑誌や書籍等に提供してきた鉄道写真はおよそ2,000枚に及ぶ。4歳の頃からヴァイオリンを始め、広瀬悦子先生に師事。音楽理論に精通し、クラシック音楽評論家としての一面も。特にモーツァルトに造詣が深い。

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