土方歳三、非情の決断…「亡骸を囮にした」油小路事件に学ぶ組織論 (※画像はイメージです/PIXTA)

大学病院ともなれば、縦割り社会の巨大な組織であり、そこに勤務する医師たちの苦悩は計り知れません。歴史を振り返ると、骨肉の争いに発展しているものが多々あるのです。医師にも人気のNHK大河ドラマ『青天を衝け』は渋沢栄一の生涯をテーマにしたものですが、函館で活躍する新選組の土方歳三が登場しました。知略・軍略に優れた人情派の土方像が描かれていましたが、京都を舞台に活躍していた時期には、鬼の副長と呼ばれ恐れられていた猛者。土方もまた、そうした骨肉の争いの渦中にあった人物のひとりだったのです。

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江戸から招いた参謀と新選組幹部の考えの違い

江戸で結成された浪士組が、京都の治安を守るため、会津藩お抱えとなり新選組と名前を改めたのは文久3年(1863)9月25日のこと。約一か月前に起きた「八月十八日の政変」での活躍が認められてのことでした。その後、池田屋事件をはじめとして攘夷派の志士たちを取り締まった彼らの先頭にはいつも土方歳三がいました。鬼の副長と呼ばれた土方は剣術に長けていただけではなく、知略においても新選組の要として、局長の近藤勇を支えていました。

 

結成当初こそ少人数の組織でしたが、最盛期には200名を超えていたといいます。それだけの大所帯ともなれば、これを指揮する人材の補充にも奔走したのです。隊士の増強を図るなかで、江戸での有志募集に呼応したのが伊藤甲子太郎でした。すでに新選組で活躍していた弟子の藤堂平助からの誘いがあったとき、伊東は勤王派。ところが新選組は勤王派を取り締まる立場の佐幕派です。しかし、尊王攘夷という一致点があったこともあり、伊東は藤堂の誘いに快諾したそうです。

 

伊藤甲子太郎は、鈴木専右衛門忠明の長男として生まれました。一度は鈴木家の家督を継ぐのですが、忠明の借財がもとで一家は離散。そのため、水戸へ遊学する転機が訪れました。そこで伊東は剣術(神道無念流)と勤王思想を学びます。その後、江戸で伊東誠一郎の北辰一刀流道場に入門し北辰一刀流免許皆伝という剣の才能を発揮しました。やがて伊東家の養子となり、道場を継いだ彼は以降、伊東姓となったのです。

 

元治元年(1864)、同士7人とともに京に上った伊東を、新選組は二番隊組長兼文学師範という高待遇で迎え入れました。弁舌にも長けていた伊東は、巧みに勤王を説いたのですが、新選組の立場を考えれば近藤や土方が伊東の勤王思想に傾くはずはありませんでした。この両者の意識にあった大きな隔たりが、やがて引き起こされる骨肉の争いへの序曲でもあったのです。

 

それでも説得を試み続けた伊東でしたが、近藤や土方たちの考えが揺るがないことを痛感し、新選組を見限る決意をします。当時の新選組では、許しなく脱退することを禁じる厳しい掟がありました。そこで伊東は、孝明天皇の陵墓を守る「御陵衛士」の任に自身を就かせるよう朝廷側に働きかけ、円満に新選組から離脱する策を選んだのです。さすがの近藤と土方も、これには異を唱えることができず、離脱を認めざるを得なかったといいます。そして慶応3年(1867)3月10日、伊東は総勢15名を引き連れ、京都五条橋東詰めの長円寺に移りました。そしてそのなかには、藤堂平助の姿もあったのです。

 

伊東の脱退理由は、理屈では正論であっても、新選組の掟を破ったという事実に変わりはありません。掟を定めた土方にしても、彼らをそのままにしておくわけにはいかなかったのでしょう。そこで隊士のひとりである斎藤一を、この御陵衛士に間者として潜伏させ、彼らの動向を探らせていたといいます。その斎藤一から、御陵衛士が近藤勇の暗殺を策略しているとの情報が舞い込んできます。これが引き金となり、新選組と元隊士たちとの間の争いが引き起こされてしまうのです。

京都・油小路に散った新選組の元参謀

伊東は近藤に、かねてより薩摩・長州に潜伏して情報を得るための資金300両の借用を依頼していました。その用立てができたという口実で慶応3年(1867)11月18日、伊東を新選組の屯所に近い近藤の妾宅での酒席に誘いました。なぜ酒席を設けたのかというと、伊東が北辰一刀流の使い手であり、正面から斬りあえば新選組隊士とはいえ無傷ではすみませんが酩酊して油断したところであれば討ち取れると考えたからといわれています。

 

御陵衛士の隊士たちは、この会合は罠だと止めたにもかかわらず、伊東は誘いに乗りました。正午頃に始まった酒席は、午後10時頃まで続いたといいます。その酒席には、近藤だけでなく、土方歳三をはじめ原田左之助、山﨑烝、大石鍬次郎といったいずれも暗殺に長けた強者が参列していました。歓待を受けた伊東は、夜遅く上機嫌で酒席を離れ、徒歩で帰路に着いたといいます。やがて木津屋橋を曲がり、油小路の本光寺にさしかかったとき、塀の陰に潜んでいた大石鍬次郎の槍が、伊東の肩口から喉にかけて貫きます。しかし伊東は、とどめを刺そうと襲いかかってきた武藤勝蔵を一刀で仕留めたそうです。しかし伊東の負った槍の傷は深く、最後に「奸賊輩」と叫びながらその場で息絶えたといいます。

 

伊東惨殺の知らせは、すぐに御陵衛士たちのもとに届きました。無残にも遺体は油小路に放置されていると聞いた彼らは、土方が伊東の亡骸を囮として、御陵衛士を根絶やしにしようと企んだ罠であることを承知の上で、伊東を連れ帰るために現場へ向かいました。総勢7名で向かった御陵衛士は鈴木三樹三郎、篠原泰之進、加納道之助、藤堂平助、服部武雄、毛内有之助、富山弥兵衛という顔ぶれでした。これを待ち伏せた新選組は、総勢40人を超す部隊。激しい斬り合いが始まりましたが、勝敗は始まる前から決まっていたようなものでした。御陵衛士の7人のうち、藤堂、服部、毛内の3人は討死。瞬く間に勝敗は決してしまいました。

 

鬼の副長として京都での激動の日々を生き抜いた土方ですが、伊東との対立を最後に、新選組内での大きな抗争はなくなります。もしかすると土方自身、得るものもあれば失うものもあって、苦悩する日々を過ごしていたのかもしれません。組織を動かすとなれば、さまざまな考え方が交差するものですが、これを牽引する立場にいれば、非情な決断を下さざるをえないこともあるのでしょう。近藤や土方の決断が正しいのか間違っていたのかはともかくとして、こうした内部抗争から何を学ぶべきなのかということが、今の組織を生き抜くためには必要なのかもしれませんね。
 

 

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建設会社で現場管理職を12年勤める。交通事故での負傷を機に出版業界へ転職。フリーのライターとして活動後、組織化して編集プロダクションOFFICE-SANGAを主宰する。少数精鋭のスタッフと、ネットワークで結ばれた外部協力スタッフとの連携を事務所の核としながら、自らも現場を精力的にこなす。『現場監督が暴く! 欠陥マンションの簡単な見抜き方』(ブックマン社)など著書・編著多数。

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