「今の医者はパソコンの画面しか見ない」当然のワケ
私が東大医学部にいた頃は、そうではなかったので、医療は経験に頼らざるをえませんでした。だから聴診器で胸の音を聴いたり、顔色を見たりすることが重要だったわけです。その時代の医療から、情報化された医療に変わってきたのは、1970年代あたりからではないかと思っています。
医療のIT化が進むことによって失われるものがあります。患者の生き物としての身体よりも、医療データのほうが重視されるようになることです。それを突き進めると、われわれの身体がぜんぶ管理されてしまうことになります。そんなことを、私は25年くらい前に東大で講義した記憶があります。
その講義で話した通り、医療の情報化はどんどん進んできました。今の医者はパソコンの画面しか見ないとか言う人もいますが、それは当然なのです。データ化されていない、胸の音とか顔色がどうとかいうのは診療の邪魔になります。
逆にいえば、人間の観察力を信用していないということです。それでいて、数字に基づく理屈を信用しているのが不思議です。その理屈も人間の頭が考えているのですから。
医学や生物学を始め、いろんな学問は、私がやっていた解剖学の手法がベースになっています。その元になったのは何かというと、「物を見る」ということです。具体的に物を見るというのはいったいどういうことなのでしょうか?
情報化される前の医学は、ヒトそのものを見ることが重要視されていました。それで思い出したのが、東大病院で学生に口述試験を行ったときのことです。
頭の骨を2個、机の上に置いて、学生に「この2つの骨の違いを言いなさい」というのが試験内容でした。
するとある学生が、1分ぐらい黙って考えた末に、「先生、こっちの骨のほうが大きいです」と答えたのです。
ヒトの骨は1つとして同じものはありません。その学生には、大きさ以外の差は目に入っていなかったというか、目の前にある物を見て考える習慣がゼロだったということです。当時であれば、医者の資質に欠けているといっても過言ではありません。しかし、現在では、こういう学生も医者になれるのかもしれません。