日本で広がる「無批判で無関心」という病
■政治に対するコミットメントを高める
最後に、負担率を高めることで得られる三つ目の効果は、国民の政治に対するコミットメントを高められる、ということです。負担率を高めることを頑なに嫌がる人にその理由を聞いてみると、よく「政治家と官僚のご都合で国家予算が足りなくなっているのに、なぜ我々がその尻拭いをしなければならないのか」という意見がよく出てきます。しかし、これもまた奇妙な話です。
もし、今これを読んでいるあなた自身がそのように感じているのであれば、ではなぜもっと政治に対するコミットメントを高めないのか?ということを考えてみてください。私たちの国は議会制民主主義を採用しているのですから、納得のいく税金の使い方を提案する政党や政治家を支援する、あるいは逆に納得のいかない税金の使い方に対して反論する、という権利が憲法で保障されています。
では、私たちはそのような権利を用いて、私たちにとって望ましい税金の使い方をするような圧力をかけているでしょうか。そのような意識をもった人が一部にいることは否定しませんが、全般的な趨勢としては「少ない」と断じざるを得ません。
たとえば、令和元(2019)年7月に行われた第25回参議院議員通常選挙の投票率は、48.8%でした。この数値だけを示されても、他国の状況を知らない人からすると「まあ、そういうもんだろ」と思われるかもしれませんが、ではたとえば、何の罰則規定や義務投票制度を設けていない以下の国々の投票率の数値を見てどう思われるでしょうか。
ベルギー 88.4%
スウェーデン 87.2%
デンマーク 84.6%
アイスランド 81.2%
ノルウェー 78.2%
ドイツ 76.2%
フィンランド 68.3%
これらの数値と比較してみれば、日本の投票率がいかに低い水準か……つまり政治に対する国民のコミットメントがいかに低いかがよくわかると思います。投票率の高い国がおしなべて国民負担率の高い国であるのは、ある意味で自然なことでしょう。
自分の収入の過半を政府に預けるということになれば、集めたお金の用途について強い関心をもつのは当たり前のことです。そして、このような関心の強さはまた、人々の政治的リテラシーを高めることにもつながります。なぜなら政党や政治家から提案された政策の良し悪しを自分で判断するためには、社会が抱えている課題を自分で理解し、どのような解決法が望ましいのかを自分で考えるための勉強が必要になるからです。
これは、高原社会における「経済合理性曲線の外側にある社会的課題」を解決していくにあたって非常に重要なポイントです。
■世の中を悪くしている「無批判で無関心な善人」
私たちの住む日本では「無関心」という病が蔓延しつつあります。これは民主主義にとって非常に危険な兆候だと思います。なぜなら、世の中を悪くしているのは、見るからにそれとわかるような「わかりやすい悪人」ではなく、「無批判で無関心な善人」だからです。かつて1960年代のアメリカにおいて公民権運動を指導したマーティン・ルーサー・キング牧師は、社会変革を阻害する要因として「善人の無関心」を挙げ、次のように嘆きました。
この変革の時代において、もっとも悲劇的であったのは、悪人たちの辛辣な言葉や暴力ではなく、善人たちの恐ろしいまでの沈黙と無関心であった。
私たちの高原社会は「共感」と「労り」によって経済が駆動されることになります。そのような社会において「無関心」は最大の敵となるでしょう。この敵を葬り去るためにも、私は皆が負担を分け合う「高負担、高福祉」の社会への転換が必要だと考えています。
山口周
ライプニッツ 代表
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