国民負担を高めることで起きる3つの効果
■幸福度ランキングの高い国の国民負担率
【図2】を見てください。これは横軸に負担率を、縦軸に世界価値観調査の「幸福度ランキングの順位」をとって各国をプロットしたものです。
このようにして俯瞰してみれば、幸福度ランキングの上下と国民負担率の高低にはほとんど関係がないこと、特に幸福度ランキングの高い国はおしなべて国民負担率の高い国であること(幸福度ランキング上位5カ国の平均負担率は58.9%でOECD加盟国の平均負担率50.8%より8.1%ポイント高い)がわかると思います。
一方で、では国民負担率を高めるとどのようにポジティブな効果が期待できるのでしょうか。もちろん、先述したユニバーサル・ベーシック・インカムのような「高福祉」の実現というド真ん中の目的もあるわけですが、私は、国民負担率を高めることで、高原社会の価値基準を組定する上で三つの付加的な効果が期待できると考えています。
一つは高負担率の税制を寄付による税控除の仕組みと組み合わせることで「贈与の文化」を生み出すことができるのではないか、ということです。
これは特に富裕層を対象にしたものとなるかもしれませんが、たとえばフランスでは年収およそ2000万円を超えると(厳密には15万7806ユーロ)、45%の所得税が適用されます。この45%の税金はそのまま国庫に収めることもできるわけですが、仮に何らかの寄付をすれば、寄付した額を所得から差し引いた残金に税率がかけられるので節税になるわけです。
こうなると、自分の稼ぎの半分を政府に取られた上に、共感も納得もしていない用途に消えてしまうのであれば、個人的に応援している団体や個人に贈与したい、と考える人も増えるでしょう。
すでに触れた通り、私たちの社会に残存している問題の多くは、それを解くことで確実に大きな経済的リターンが得られるという類のものではありません。したがって、いわゆる市場原理だけに頼っていたのでは、それらの問題は永遠に解かれることのないまま、社会に残存してしまいます。もし、寄付による贈与の文化が社会に醸成できれば、そのような問題を解決するための資源を経済合理性の枠組みを超えて獲得する人や組織を増やす上で大きなプラスとなってくれるはずです。
■「クソ仕事」を減らすための政策
さて、国民負担率を高めることで得られる二つ目の効果は「お金のためにあくせく働いても仕方がない」という価値観を広められる、ということです。
一つの思考実験としてこのようなケースを考えてみてください。たとえば日本において、2000万円以上の所得については70%の所得税を、5000万円以上の所得については90%の所得税をかけるとなった場合、どのようなことが起こるでしょう。おそらく三つの変化が起きると思います。
一つ目の変化は、あくせく働いて年収を上げるのはバカらしいと思う人が確実に増えるということです。必死に働いて高額の給料をもらうようになったとしても、その多くが税金として国に取られるということになれば、多くの人はお金のためではなく、活動それ自体が喜びとなるような仕事を選ぶでしょう。
これは、労働を生活のためのインストルメンタルな活動から、それ自体が悦びとなるようなコンサマトリーな活動へと転換することをもくろむ高原社会において、非常に重要なポイントになります。あるいはまた、そもそも働く時間を少し減らしてでも、音楽を楽しんだり、スポーツに汗をかいたり、家族と語らったりといった、本質的に豊かなことをするために時間を使うようにもなるはずです。このようなワークとライフの関係のあり方は、まさしく高原社会において求められるものです。
そして二つ目の変化は、バカらしいほどの高額報酬を出すインセンティブが、企業側にもなくなるということです。高額の報酬を出してもそのほとんどが税金にもっていかれるとなれば、良い人材を採用するためのカギが経済的な報酬から非経済的報酬……つまり仕事のやりがいや一緒に働く仲間との相性、自由裁量権の大きさといった要素にシフトすることになります。
このシフトは社会から「クソ仕事=報酬そのものは魅力的だけど仕事の内実は空虚で本人自身も意義や意味を感じられていない仕事」を減らすための後押しになるはずです。