戦後、日本はずっと「小さなアメリカ」を目指してきました。半世紀にわたって私たちを苛み続けてきたこの目標を解除した途端に私たちの目の前にはさまざまな選択肢が生まれるといいます。そのためには何が必要なのでしょうか。※本連載は山口周著『ビジネスの未来』(プレジデント社)の一部を抜粋し、編集したものです。

「小さなアメリカ」を目指してやってきた日本

これだけはお伝えしておきたい、と思われるいくつかの提案をごく手短に挙げてみたいと思います。

 

提案① 社会構想会議の設立

 

一つ目として提案したいのが「小さなアメリカ」の代わりとなる、新しい社会ビジョンを構想する社会的システムおよびプロセスの実装です。

 

私たちの国は20世紀半ば以降、ずっと「小さなアメリカ」を目指してやってきました。この思考様式は私たちの血肉に染み付いてしまっているようで、いまだにアメリカとの比較の上だけで成り立つ「日本ダメ論」はあらゆる場所でやかましいほどに議論されています。

 

しかし私は、そもそもアメリカを比較対象として日本の社会システムのモデルを考えること自体に破滅的な無理があると考えています。というのも、アメリカと日本では前提となる基本条件があまりにも違うからです。

 

たとえばアメリカは、日本の25倍の国土をもち(アメリカ=983万平方キロメートル、日本=38万平方キロメートル)、2.6倍の人口を有し(アメリカ=3億2716万人、日本=1億2588万人)、天然資源にもはるかに恵まれ(エネルギー自給率:アメリカ=92.6%、日本=9.6%)、国民のほとんどが移民か、あるいは元移民の子孫であり(移民比率:アメリカ=14.5%、日本=1.6%)、国際公用語である英語を事実上の公用語として用い、かつ決定的なことに、人口がすでに減り始めている日本と違って、いまだに人口が増え続けているという、極めて特殊かつあらゆる面で恵まれた条件をもった国です。

 

戦後、日本はずっと「小さなアメリカ」を目指してやってきた。(※写真はイメージです/PIXTA)
戦後、日本はずっと「小さなアメリカ」を目指してやってきた。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

物的・人的資源においてこのように大きな差を有する国を目指すべきベンチマークとして据えて無理に無理を重ねればどのような結果がやってくるか。いまから100年前、文明開化の最中に生きた夏目漱石は『それから』の中で、一等国を目指して身の丈に合わない努力を続ける日本の将来について、主人公の長井代助の口を借りて次のように言っています。

 

<牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。>
夏目漱石『それから』

 

ありとあらゆる物質的不足の辛酸を舐めながら、灰燼に帰した国土の復興に携わっていた人たちにとって、物質的繁栄を謳歌する1950年代のアメリカが「憧れの国」になったことはわからないでもありません。アジアにおける防共の砦という役割を担わされた日本はまた、資本主義がもたらす物質的繁栄をアジアに向けてデモンストレーションする格好のショーウィンドウとなることを期待され、私たちはそれを嬉々として引き受けました。

 

しかし、私たちの社会はすでに物質的生活基盤の整備を完了しているのですから、これ以上「小さなアメリカ」を目指しつづける意義は溶解してしまっています。この「小さなアメリカを目指す」という、半世紀にわたって私たちを苛み続けてきた目標を解除した途端に私たちの目の前にはさまざまな選択肢が生まれることを実感することになるでしょう。

 

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ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

山口 周

プレジデント社

ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか? 21世紀を生きる私たちの課せられた仕事は、過去のノスタルジーに引きずられて終了しつつある「経済成長」というゲームに不毛な延命・蘇生措置を施すことではない…

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