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現在の価値基準でしか未来を評価できないのか
理屈ではありません。仕事を得た人は賃金を得て、仕事につけなかった人は賃金を得られない、たくさん働いた人はたくさんもらい、少ししか働けなかった人は少ししかもらえない、というのはたしかに合理的かもしれない。でもわたしは、それでも同じだけ支払ってやりたいのだ、と言っているわけです。これも一種のコンサマトリーな衝動と言えるでしょうね。
繰り返しますが、これは理屈の問題ではないのです。そうすることで「労働生産性が上がるとか下がる」とか「失業率が上がるとか下がる」とか、そういう問題ではない。イエスは、このたとえ話によって「仕事をもらえた人も、仕事をもらえなかった人も、同じように賃金がもらえて、今日1日を安心して過ごすことができるといいね。僕はそういう社会がいい社会だと思う」と言っているのです。
しかし、ここにどうも絶望的な難しさがあるらしい。わたし自身は「まったくそうだよな。さすがイエス、いいこと言うぜ」と思いながらこれを読んだのですが、どうもある種の人にとって、このたとえ話は理解も共感も絶しているようなのです。その証拠に、聖書の解釈を専門とする神学者の多くが、この物語の解釈を巡って実にアクロバティックな、なぜわざわざそんな込み入った解釈をしなければならないのか、と首を捻りたくなるような解説を付しているからです。
実名を挙げることは憚りますが、さる高名な神学者は「たとえ人間には理解できなくても、神の意思には絶対服従しなければいけない、ということを教えている」とまとめており、「おいおい『人間に理解できない』んじゃなくて『自分には理解できない』だけだろ、俺は十分わかるぞ」と思ってしまいますし、また別の神学者は「就業者と失業者をたとえにしているが、これは『差別は良くない、神の前には平等だ』ということを言っている」と解説しており、いずれも唖然とさせられます。
書かれているとおりに素直に読めば、イエスの意図がそんなところにないのは明白でしょう。彼は単に「仕事をもらえた人も、仕事をもらえなかった人も、安心して暮らせる社会がいいよね」と言っているだけのことで、まさにUBIのことを言っているのです。
今日、さまざまな場所で「コロナ後の世界」に関する議論が激しく交わされていますが、それらの多くが、現在の社会における価値指標を用いてテクニカルに展開されていることに、とても違和感を覚えます。
たとえば「失業率」や「GDP成長率」というのは、現在の社会システムを前提にすれば、もちろん前者は低い方が、後者は高い方が良いということになるわけですが、そのような価値基準を当てはめながら、「ではUBIの導入によってそれらの指標がどう変化するか」を予測・議論しても仕方がないだろうと思うのです。
しかし、いま私たちに本当に求められているのは、各種の政策案に関するテクニカルな評価などではなく、イエスが「神の国」をイメージするための手がかりとして話したぶどう園のようなビジョンを各自が描き、それを共有していくことではないでしょうか。
山口周
ライプニッツ 代表
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