最期まで在宅で自力トイレ…80代肺がん末期夫が起こした奇跡 (※画像はイメージです/PIXTA)

高齢者の介護を高齢者がおこなう老々介護が全国で続出しています。今回は98歳の認知症の母親を、これまで不仲だった娘が、在宅で介護をする事例を紹介します。本連載は中村明澄著『「在宅死」という選択』(大和書房)より一部を抜粋し、再編集した原稿です。

妻のシャケおにぎりに「ああ、美味しい」

「急に息がゼエゼエしてきました」

 

奥さまからそうお電話をいただいて緊急でかけつけると、呼吸が荒く、もうそろそろかもしれないと思いました。薬を調整して呼吸が少し落ち着いたら、突然、I介さんがふっと目を開けて何か言いました。

 

「え? どうした?」

 

全員で身を乗り出して聞くと、I介さんはこう言ったのです。

 

「おにぎり……」

 

一瞬、みんな固まりました。テレビドラマだったら「ありがとう」のセリフになるシーンでしょうが、I介さんは「おにぎり」とつぶやきました。

 

心のなかでは奥さまも娘さんも、きっと「え? 何言っているの?」と思っていたことでしょう。というのも、I介さんはもう3、4日も固形物は口にしていなかったのです。

 

でも、とっさに「じゃあ、何がいいの?」と奥さまが聞くと、I介さんは「シャケ……」と答えました。

 

病院だったら、突然言われても誰かがコンビニに買いに走るぐらいの選択肢しかありませんが、自宅ですから、奥さまがすぐに炊き立てのご飯でさっと握ってくれました。

 

すると、もう飲み込むのもむずかしい状態だったはずのI介さんは、そのシャケのおにぎりを3口ほど食べて、にっこりしたのです。私はうれしくて、ひとり心のなかで「わー! 食べられた!」と叫んでいました。

 

「ああ、美味しい」

 

これがI介さんの最期の言葉になりました。おにぎりを食べた数時間後、夜中に静かにI介さんは息を引き取りました。

 

亡くなる少し前、患者さんが、ふっと元気になる瞬間を経験することがあります。誰にでも必ず起こるわけではないのですが、命の神秘とでも言ったらいいでしょうか。「最期の輝き」と呼ばれることもあります。この瞬間が残される側にとって、かけがえのない体験になることも少なくありません。

 

奥さまも娘さんも本当に大変な介護だったと思いますが、自宅で頑張ってきてよかった。I介さんのおにぎりエピソードは、そう思わせてくれる最期の輝きでした。

 

中村 明澄
在宅医療専門医
家庭医療専門医
緩和医療認定医

 

 

在宅医療専門医
家庭医療専門医
緩和医療認定医

2000年東京女子医科大学卒業。国立病院機構東京医療センター総合内科、筑波大学附属病院総合診療科を経て、2012年8月より千葉市の在宅医療を担う向日葵ホームクリニックを継承。2017年11月より千葉県八千代市に移転し「向日葵クリニック」として新規開業。訪問看護ステーション「向日葵ナースステーション」、緩和ケアの専門施設「メディカルホームKuKuRu」を併設。緩和ケア・終末期医療に力をいれ、年間100人以上の患者の方の看取りに携わっている。病院、特別支援学校、高齢者の福祉施設などで、ミュージカルの上演をしているNPO法人キャトル・リーフも理事長として運営。著書に『「在宅死」という選択 納得できる最期のために』(大和書房)がある。

著者紹介

連載「在宅死」という選択で自分らしい生き方と逝き方を探る

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

中村 明澄

大和書房

コロナ禍を経て、人と人とのつながり方や死生観について、あらためて考えを巡らせている方も多いでしょう。 実際、病院では面会がほとんどできないため、自宅療養を希望する人が増えているという。 本書は、在宅医が終末期の…

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