「話が違うじゃない!」余命1週間の兄…駆けつけた妹が怒ったワケ【在宅医が見た医療の現場】

「話が違うじゃない!」余命1週間の兄…駆けつけた妹が怒ったワケ【在宅医が見た医療の現場】
(※画像はイメージです/PIXTA)

医師の言葉を信じて、最期まで病と闘い続ける患者とその家族。20代で大腸がんの診断をうけた患者は、入退院を繰り返し、ご両親が懸命に介護されていた。「手術をしたら仕事に戻ることができる」と考えていたという。在宅医が見た医療の現場とは。※本連載は中村明澄著『「在宅死」という選択』(大和書房)より一部を抜粋し、再編集した原稿です。

食事ができるようになれば手術ができる

20代で大腸がんの診断を受けたJ男さんは、なんども入退院を繰り返し、ご両親が懸命に介護をされていましたが、当時48歳になっていました。

 

今回は、食事があまりとれなくなって入院しましたが、入院後の方がかえって食事量が落ちてしまったため、自宅に戻ることになりました。

 

退院日にご自宅を訪問したところ、J男さんはすでに意識が朦朧としている状態でした。

 

ご本人とご家族は「自宅にもどって、ご飯が食べられるようになったら、また手術をしてもらえる。手術をしたら仕事に戻ることができる」というご理解でしたが、むしろ、余命がとても限られている状態のように見受けられました。J男さんが食べられないのは、病状がかなり進行しているためと思われました。

 

病院主治医に確認をしたところ、やはり手術ができる状態ではない終末期の状態とのことでした。J男さんが1日も早く仕事に復帰したいと強く願っていることをよく理解していた主治医は、「どうしたら手術をしてもらえますか?」というJ男さんに、もう手術はできないと言い切ることがどうしてもできなかったのです。そのため、「今は食事ができず、体力が落ちているので手術が難しい。もし自宅にもどって食事がとれるようになったら、また手術のことも考えましょう」とお伝えしたとのことでした。

 

たしかに嘘は伝えていないですし、主治医の気持ちも痛いほどわかります。ですが「食べられるようになったら手術をしてもらえる」と信じて、意識が朦朧としている中で、必死に食べては吐いてしまうJ男さんと「あれなら食べられるかもしれない、これなら大丈夫かもしれない」と言って、一生懸命、食事を用意しているご両親の姿をみて、胸が詰まる思いでした。

 

J男さんは、20代のときにがんを宣告されてから、具合が悪くなる度に、さまざまなつらい治療も受けながら、厳しい状態を何度も乗り越えて仕事に復帰してきました。ですから、今回も今までと同じように、「頑張れば、きっとまたよくなる」と信じていました。

 

本当のことを聞いたら、ご本人もご家族も大きなショックを受けることは間違いありません。でも、このまま頑張り続けて亡くなってしまうのは、いいのだろうか……。いろいろ悩みましたが、実際、J男さんには時間がありません。

 

私は、まずはお母さまに「だいぶ調子が悪いですが、今の病状やこの先のことを知りたいですか」と聞いてみました。お母さまは、「いえ、また手術できれば治ると聞いていますし、信じていますから」とのことで、それ以上のお話はご希望されませんでした。

 

さらに病状が悪化し、ほんの少しの水分も受けつけなくなりました。「自宅に帰ってきたけど、やっぱり食べられない。これじゃ手術できなくなっちゃうから、もう一回入院してよくしてもらいたい」とJ男さんから入院希望の話がでました。ですが、もし、今入院したら、家に帰ってこられることはない状況でした。

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「在宅死」という選択~納得できる最期のために

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

中村 明澄

大和書房

コロナ禍を経て、人と人とのつながり方や死生観について、あらためて考えを巡らせている方も多いでしょう。 実際、病院では面会がほとんどできないため、自宅療養を希望する人が増えているという。 本書は、在宅医が終末期の…

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