「簡単に受け止めることはできなかった」と話す長井紗良さん(仮名)

子宮頚管無力症により645gの超未熟児を出産した長井紗良さん(仮名)。障害を抱える娘を育てながらも小さく生んでしまった自分を責め続け、前向きになれない彼女を救ったのはとある医師の言葉でした。今回は、後悔や苦難とともに生きる決意をした彼女に話を聞きました。

「645gの超未熟児を生みました」

「私が生んだのは645gの赤くて小さな赤ちゃんでした」

 

そう話し始めたのは、都内在住の長井紗良さん(仮名)35歳。

 

長井さんが娘の理香ちゃんを出産したのは5年前のことです。

 

「妊娠が分かった時は、夫と抱き合って喜びました。それに私も夫も一人目は女の子を希望していたので、女の子と分かった時には、抱き合って喜びましたね」

 

待望のこどもに膨れ上がる期待と喜び。

 

その時の気持ちは二度と忘れないと長井さんは語ります。

 

しかし―――

「子宮頚管無力症」赤ちゃんがいつ生まれてもおかしくない

「妊娠22週頃です。検診の時に、『子宮頚管無力症』と診断されました」

 

幸せな妊娠期間から一転。突如、長井さんを襲ったのは『子宮頚管無力症』という症状。
本来ならば、出産まで閉じているべき子宮頚管が早い段階で緩んで、開いてしまうというもの。流産や早産のリスクがグンと高まるのだそう…。

 

「それまで順調だったので、まさか自分が…という感じでした。手術をしないと赤ちゃんがいつ出てきてもおかしくないと言われ、頭が真っ白になりました。妊娠22週だとまだ赤ちゃんの体重は500gすらありません。もし生まれてしまったら生存率があまり高くないと知っていたのでなおさら不安でいっぱいになりました」

 

長井さんが提示された手術はシロッカー手術。緩んでしまった子宮頚管を縛り、妊娠末期に抜糸を行い出産を迎えるというものでした。

 

「手術は日帰りで、拍子抜けするほどすぐに終わりました。恐怖心はありましたが、これで赤ちゃんを守れるんだと思うとホッとする気持ちが一番大きかったです」

突然の帝王切開と生存の危機

手術を無事終え、その後安静生活を送っていた長井さん。当然、妊娠後期まで赤ちゃんがお腹にいてくれるものだと思っていた彼女に急展開が起こります。

 

「今でも忘れません。妊娠26週と2日のことです。朝起きると下腹部痛がありました。それもかなり定期的に…。すごく嫌な予感がして、夫に病院へ送ってもらって、すぐに診察してもらいました。すると予想は的中、陣痛が始まっていたんです」

 

当時のことを思い出したのか体をブルっと震わせた長井さん。

 

診察した医師にもう生むしかないと言われ、そのまま緊急帝王切開。そして645gの小さな赤ちゃんが誕生しました。

 

「小さい。赤い。それが初めて娘を見た時の感想です。小さく生んでしまってごめんね、とガラス越しの娘に何度もつぶやきました。小さな小さな体で懸命に生きようとしている娘を見て、どんな状態でもいいから、どうか生き延びてほしい。その時は本当にそれだけを願っていました」

 

それから医師の懸命な治療により少しずつ成長していった理香ちゃん。日に日に体も大きくなる娘を見て、もう大丈夫だと長井さんも安心したと言います。

 

ところが―――

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