新型コロナ感染者2000人以上を収容する施設
上空から見ると、それが何なのか最初は理解できない。巨大な空間にアルミの骨組みが作られ、そこから白やグレーのカーテンがいくつも垂れ下がり、防音パネルで仕切られた小間が延々と続いている。このように細かく区切られたスペースが約18万5800平方メートルの空間に何列も並ぶ。地上に近づいていくと、フォークリフトやパレットトラックがせわしなく動き回り、消耗品や什器、機材などを指定された場所に運んでいるのがわかる。
「年中無休24時間体制で専門チームと連携しながら、拠点の詳細を詰めて発注します。そして発注直後から設営作業が始まりました」
アメリカ国防総省向けのある記事で、陸軍工兵隊の広報官マイケル・エンブリッチはこのように説明する。
2020年春、陸軍工兵隊はニューヨーク市と協力してこの施設を設営した。新型コロナウイルス感染者2000人以上を収容する施設である。この施設はあっという間にアメリカ最大級の医療施設になった。収容力で言えば、近隣の病院を大きく上回る規模である。医療専門家によれば、電気・水道が即座に利用できることに加え、廃棄物管理や適切な換気設備を考えれば、理想的な施設だ。最近の医療施設に比べれば、高級感こそないが、搬送される患者にとっては、ありがたい新しい環境だった。
最も印象的だったのは、施設完成までにかかった期間だ。
「通常の設計・施工とは比べものにならないほどのスピードだった」とエンブリッチは振り返る。実際、施設全体が内装も含めてほぼ2週間で完成してしまったのだから、どう見ても大変な力業だったと言わざるを得ない。
こんな大規模の建設工事があっという間に完成したとはにわかに信じがたい。この仮設病院のある場所が元々コンベンションセンターで、ほんの3カ月前には全米小売業協会(NRF)主催の最大級の業界見本市「ビッグ・ショー」が開催されていたと、誰が信じるだろうか。
毎年、ニューヨークシティで1月に開催されている見本市である。実際、2020年1月、私は世界中の小売り関係者とともにこの場にいた。ホールや吹き抜けスペース、講堂に3万7000人が詰めかけ、小売業界の行方について話し合ったばかりだった。
数え切れないほどの握手やハグを交わし、密集して列に並び、騒々しいセッションホールでは互いに顔を寄せ合って会話をしていた。
ところが、そのわずか数週間後には、それまで当たり前だった行動を控えるように言われ、禁止されるケースも出てくるとは、想像だにしなかった。まして、2020年が小売業界はもちろん、地球上のほぼすべての生なりわい業に与える影響の深刻さなど、まともに見通せた人間はいなかったのではないか。私たちの暮らしも仕事も一変してしまった。
パンデミックがもたらした世界的な変容の象徴として、この施設以上のものは簡単には思いつかない。小売業界の明るい未来と期待が渦巻く一大拠点だった巨大なジェイコブ・ジャビッツ・コンベンションセンターがわずか3カ月後には、米国陸軍の仮設病院となり、100年に一度あるかないかの最悪のパンデミックであふれ返る何千人もの患者を受け入れることになったのである。
今にして思えば、くだんの見本市の参加者のうち、あの日、あの場で話し合われたテーマやコンセプト、討議内容は、その後に襲いかかる事態に比べれば、実に些細なことだった。しかし、それを当時想像できた者はいなかっただろう。タイタニック号で浮かれ騒いでいた乗客と同じで、世界の小売業界が動かしようのない巨大な壁に激突し、業界全体がボロボロになるような前触れも兆候もなかったのだ。