自分が動けるうちは、夫の世話を
■「誰かの役に立っていたい」潔く死を受け入れた人の最期
在宅医として医療に携わるようになってから、10年が経ちました。年間100名以上のさまざまな方の最期の時間に関わる中で、生のあり方、死のあり方について、日々、たくさんのことを教えていただいています。
生き方に正解がないように、逝き方にも正解はありません。ただ、最期のときだからこそ見える「その人らしさ」というものがあります。逝き様は、まさにその方の生き様なんだなぁと思います。ここでは、私が日々たくさん教わってきたことをみなさんにお伝えしていきたいと思います。
お一人目は、肝臓がん末期のA子さん75歳のお話です。
KuKuRu(当院併設の緩和ケア施設)に来るまでは、A子さんのほうが、認知症で車椅子生活をしているご主人のお世話をしていました。
これ以上の治療は困難で、残された時間は数か月とご自分の病状をよく理解していました。その上で「自分が動けるうちは、夫の世話をしたいから」とおっしゃって、在宅医療を受けながら、ご主人の面倒をみていたのです。
いよいよ、ひとりでは動けなくなってきたという頃、私が訪問診療に伺うと、A子さんはご主人にこう話しました。
「私、もうお家は無理だわ。あなた、申し訳ないけど専門の人に入ってもらって、面倒みてもらってね。私は施設に行くわ」と、それはもう潔い決断でした。こんなにも最期を潔く受け入れる方がいるのだと、感動しました。
KuKuRuにいらしたあとも、お見舞いに来たご主人の足を揉んだりと、ふたりの時間を大切に過ごしていました。
私がお部屋を訪れると、A子さんは「もうすぐお迎えだと思うけど、ここまでずっと幸せだったし、今もとても幸せだわ」とたびたびおっしゃっていました。
「どうしてそんなふうに思えるんですか?」と尋ねても、ただただ「だって本当に幸せだったもの」とおっしゃるばかり。何か特別な信仰があるわけでもなく、日々をつつがなく過ごせていることにただ感謝し、施設のスタッフにも、いつも「ありがとう、ありがとう」と声をかけてくれる方でした。
「死んだあとどうしてほしいかも、もうぜんぶ伝えたから、あとは先生、苦しくないようにお願いしますね」
そうにっこり笑うA子さんは、まるで悟りを得た人のようでした。