(※画像はイメージです/PIXTA)

生き方に正解がないように、逝き方にも正解はありません。ただ、最期のときだからこそ、「その人らしさ」が現れると年間100人以上を看取る在宅医は語ります。認知症で車いす生活をしているご主人の面倒をみていた肝臓がん末期の75歳のA子さんの生き方(=逝き方)とは…。本連載は中村明澄著『「在宅死」という選択』(大和書房)より一部を抜粋し、再編集した原稿です。

死を受け入れることとあきらめとは別物

そんなA子さんが唯一厳しかった相手は、娘さんです。自分が死んだあとのことについてあれこれ指示を出していましたが、娘さんのほうは、迫り来る母親の死を、まだ受け入れきれずにいるようでした。

 

A子さんの娘さんへの厳しい対応に、私は「ニーバーの祈り」を思い出しました。

 

「神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。」

ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)

 

A子さんが娘さんに厳しかったのは、娘さんの将来はまだ「変えられるもの」だったからでしょう。自分がいなくなったあとに残される娘が困らないように、厳しく諭したのです。そして自分の死については、「変えられないもの」なので抵抗せずに受け入れた。まさにニーバーの祈りそのものを体現しているような方でした。

 

最期の時間を過ごす患者さんたちと接していると、感じ方や受けとめ方によって、同じ事実がこうも違って見えるものかと思うことがあります。他人からすれば「不幸」と見えることでも、ご本人が不幸であるとはかぎりません。

 

まさにA子さんがそうだったように、身体が動かなくなることも承知のうえで「今が幸せ」とおっしゃる方がいるのです。

 

A子さんは、穏やかに最期の時間を施設で過ごし、入居してから2週間で旅立ちました。自分で選んだ終の住み処で、夫と娘に看取られて、そのお顔は本当に幸せそうでした。

 

常に「誰かの役に立っていたいの」と言っていたA子さん。自分の状況をありのまま受けとめ、感傷にひたっている暇があったら解決策を考えて今できることをやる。A子さんから、死を受け入れることとあきらめとはまったく別物なのだということを、改めて実感させてもらった気がします。

 

中村 明澄
在宅医療専門医
家庭医療専門医
緩和医療認定医

 

 

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

中村 明澄

大和書房

コロナ禍を経て、人と人とのつながり方や死生観について、あらためて考えを巡らせている方も多いでしょう。 実際、病院では面会がほとんどできないため、自宅療養を希望する人が増えているという。 本書は、在宅医が終末期の…

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