(※画像はイメージです/PIXTA)

生き方に正解がないように、逝き方にも正解はありません。ただ、最期のときだからこそ、「その人らしさ」が現れると年間100人以上を看取る在宅医は語ります。「つらい検査、入院はしたくないし、延命もしたくない」――。89歳女性患者は、痛みも苦しみもまったくないまま、すっと寝ているような穏やかな最期を迎えることができたという。本連載は医師である中村明澄氏の書籍『「在宅死」という選択』(大和書房)より一部を抜粋し、再編集した原稿です。

89歳女性「何もしないでね。自然に逝きたいから」

■最期までブレずに「自分らしく」生き抜いたB美さん

 

今から10年前、私にとって自然死で看取ったはじめての経験となったB美さんを紹介します。旅行が大好きで、娘さんと一緒に世界中を旅してきたB美さんは当時89歳。有料老人ホームに入居し、訪問診療を受けていました。この頃はまだ自然死や平穏死という言葉がそれほど出てきていなかった時代でした。

 

「好きな人生を好き放題歩んできたから、これからも自分の身体に起きたことに関しては、好きなようにやらせて」というのがB美さんの第一声でした。

 

「もちろん、治るものはサクッと治してもらうのがいいけれど、つらい検査を受けたり、入院するようなことはしたくないし、延命もしたくない」という意思がはじめからとても明確でした。

 

徐々に歩けなくなり、その症状から神経難病の可能性があり、くわしく調べてもらおうと病院での検査をお勧めしましたが、お返事はやはりNO。「治らないんだったら、そのままでいいわ」というのが、B美さんのいつものお返事でした。

 

動けなくなって1年が過ぎた頃、飲み物を飲み込むのもむずかしくなってきました。それでも彼女はまったくブレずに、「本当に大丈夫なのよ。このまま自然なかたちで死んでいくのが、私のわがままなんだから。それを叶えてちょうだいね」と、ご自分の身体の状態をあるがままに受けとめているようでした。

 

娘さんも、B美さんの意思を尊重して理解されていました。

 

いよいよ亡くなる時期が近くなったときも、B美さんは「何もしないでね。自然なままで逝きたいから」とおっしゃっていました。今でこそ、自然死・平穏死に関する本もたくさんあり、医療的に何もせず自然に亡くなることも良き選択の一つとなってきていますが、当時はまだ「食事や水分が取れなくなったらまずは点滴」という時代でした。

 

人は亡くなる過程として、徐々に食べられなくなってきますが、これは体が栄養を必要としなくなるためです。食べられないから弱る(=亡くなる)と思われがちですが、実は、亡くなるから食べなくなってくるというのが自然な体の変化です。また、食べないことで体が軽い脱水になり、意識がぼんやりしてきて、亡くなるときのつらさもなくなるのだと言われています。

 

もちろん、元気な人が熱中症や胃腸炎の下痢などで脱水症状を起こしている場合は、点滴は大切な治療ですし、点滴で脱水が改善することで体が楽になります。ですが、体が亡くなる準備をしているときの脱水に対して点滴をすると、かえってつらさが増してしまうことがあります。体は水分を上手に利用することができなくなっているため、点滴で入ってきた水分がそのままむくみになったり、胸水や腹水になったり、分泌物が増えて痰がゴロゴロして苦しくなってしまうことがあるのです。

 

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「在宅死」という選択~納得できる最期のために

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

中村 明澄

大和書房

コロナ禍を経て、人と人とのつながり方や死生観について、あらためて考えを巡らせている方も多いでしょう。 実際、病院では面会がほとんどできないため、自宅療養を希望する人が増えているという。 本書は、在宅医が終末期の…

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