国の世話にはなりたくない、子どもにも頼れない
裁判官が、しきりに一郎さんを説得します。生活保護を受給するか、あるいは身内の援助を得るか、そのどちらかでない限り、仕事をしていない一郎さんの生活は成り立ちません。裁判所で会う一郎さんは、もはやとても仕事ができるような健康状態ではありませんでした。それでも一郎さんは、お国の世話にはなりたくないし、子どもにも頼れないと頑なに拒みます。
こうなると裁判所としても、明け渡しの判決を言い渡さざるを得ません。そして強制執行の日が来ました。
夏の暑い日でした。荷物を運びだす準備を整え、執行官がドアの外で声をかけますが、返事はありません。インターホンを鳴らしても無反応です。仕方なく開錠して中に立ち入ると、一郎さんは服を何も身に着けず、酔っぱらって寝ていました。机の上には酒の空き瓶が並び、すぐ横には電話の子機が転がっています。昨夜もどこかに電話をかけてしまったのかもしれません。
執行官に服を着るよう促され、ヨレヨレの服を着た一郎さんは部屋の外に出されました。
「生活保護の申請をしましょう。一緒について行きますから」
その言葉を振り切り、一郎さんはたったひとりで歩いていきます。けれどもその先にはなんのあてもないはずです。
若いころ、生活が苦しいから年金をかけられない、でもその分、年をとっても働けばいい……。そう思っていたのかもしれません。でも人生は残酷です。
ほんの僅かなズレから生じた歪みは、微妙なバランスで成り立っていた家族の関係を崩してしまいました。そして傷ついた、固くなってしまった心は、社会から用意されたセーフティネットまで拒絶してしまったのです。
※本記事で紹介されている事例はすべて、個人が特定されないよう変更を加えており、名前は仮名となっています。
太田垣 章子
OAG司法書士法人代表 司法書士
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