哲学を身近な問いから「神に対する学び」に変えた中世
ヘレニズム・ローマ時代においては、「どのように生きれば幸福になるか」という身近な問題が哲学の主なテーマになっていきました。たとえば、精神的充実がもたらす快楽こそが善であり人生の目的であると説いたエピクロスに始まるエピクロス派や、自らに降りかかる苦難をいかに克服してゆくかを説いたゼノンに始まるストア派などです。
中でも、自らの運命を受け入れながらも積極的に生きようというストア派の哲学は、五賢帝の一人であるマルクス・アウレリウスをはじめとした、ローマ帝国の指導者たちの哲学として確立されていくことになります。
それに続く西ローマ帝国滅亡(476年)頃から東ローマ帝国滅亡(1453年)頃までのヨーロッパ中世においては、哲学の対象は主に「神」でした。中世におけるキリスト教の神は、世界と人間を完全に支配し、普遍的原理と秩序の根拠とされたという意味で、哲学は宗教に従属していたということができます。
特に、プラトンが開設したアカデメイアと、アリストテレスが開設したリュケイオンという二つの学問所が6世紀前半に閉鎖されると、学者と文献の多くはアラブの世界に受け継がれていきました。さらに、イスラム帝国が成立すると、アッバース朝(750年-1258年)は、国家的事業としてバグダードにシリア人学者を招き、シリア語のギリシア文献をアラビア語に翻訳させました。
後に、ヨーロッパ世界で哲学が再び開花するのは、イスラム哲学者たちによって継承されていた古代ギリシア・ローマの哲学、神学、科学の文献が、12世紀から13世紀頃にアラビア語からラテン語に翻訳された結果でもあるのです。
「スコラ哲学」大学を誕生させたが位置づけは神学の下
その後、西洋哲学がキリスト教から独立した地位を得るようになるのは、スコラ哲学によるところが大きいと考えられます。スコラ哲学は、イタリアの神学者であったトマス・アクィナスをはじめとする、ローマ・カトリック教会の神学者や哲学者によって確立されました。
スコラ哲学は、キリスト教の教義を絶対の真理とし、それをアリストテレス哲学によって精緻に理論化、体系化したものです。その発展は大学の誕生へとつながり、11世紀末にボローニャ大学が、12世紀前半にパリ大学が誕生することになります。
大学には、神学部、法学部、医学部という専門職養成のための三つの上級学部と自由学芸学部が置かれました。上級学部に進む前の学問の科目として、リベラルアーツ(liberal arts)と呼ばれる自由七科(文法学、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽)が公式に定められ、学生はこれらの科目を哲学部ないし学芸学部で学習しました。