存在の認識を問う「認識論」と本質を問う「存在論」
古典的な分類では、哲学は、以下のように認識論、存在論、倫理学の三つに分けられます。
①認識論(知識論):世界とそこに存在する事物に対する「認識」を問うもの。
②存在論(形而上学):世界とそこに存在する事物の「本質」を問うもの。
③倫理学(倫理哲学、道徳哲学):人間の良いあり方や、正しいあり方について問うもの。
認識論(独:Erkenntnistheorie、仏:Épistémologie、英:epistemology)は、認識や知識の起源、構造、範囲、方法などについて考察するもので、ヒトの外の世界をいかに認識していくかを問うものです。主題としては、「人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか」「人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか」「人間にとって不可知の領域はあるか、あるとしたらどのような形で存在するのか」などが扱われます。
認識主体と認識客体のいずれに重点を置いて考えるのかによって、観念論(観念的・精神的なものが外界とは独立してあるという立場)と実在論(概念や観念に対応するものがそれ自体として実在しているという立場)に分かれます。
実在論は、対応するものが概念や観念の場合は観念実在論になり、物質や客観の場合は素朴実在論や科学的実在論になります。
認識論は、自然科学の分野における科学的認識論と区別して、哲学的認識論とも呼ばれます。
存在論(独:Ontologie、仏:Ontologie、英:ontology)は、さまざまに存在するもの(存在者)の個々の性質を問うのではなく、存在者一般に関して、全ての存在者が共通に持つものやその根本的・普遍的な規定を考察し、規定するものです。
存在論は、しばしば形而上学と同義に用いられます。形而上学の主題の中心的なものに存在の概念があり、これはアリストテレスが『形而上学』において、存在全般の普遍的原理や原因を解明する学問を「第一哲学」と呼んだことに由来します。
これに対して、その原理や原因の結果によって生じた、個々の具体的な存在(自然)を扱う自然哲学(今日の自然科学)を「第二哲学」と呼びました。つまり、アリストテレスは、存在の根本原理や原因を扱う学のほうがより重要であると位置づけ、それを「第一哲学」と呼んだことになります。