実存主義が広まった背景には二度の世界大戦があった
20世紀に入ると、人間の実存(現実存在=事物一般が現実に存在することそれ自体)を説明しようとする実存主義(existentialism)の運動が起こります。これは、「実存(existentia)は本質(essentia)に先立つ」という言葉に表されるように、「人間がいかに自らの自由により自らの生き方を決断していくか」を中心に据えた哲学的立場です。
ヘーゲルが弁証法による主観と客観の二項対立の克服と自我を中心とする一元論を考えたのに対して、実存主義は、神の前に立つ単独者としての、個別・具体的な存在としての人間を哲学の対象にします。実存主義の先駆者と言われるのがセーレン・キェルケゴールで、この立場はヤスパース、ハイデッガー、サルトルらの実存主義に受け継がれ広がっていきました。
実存主義が広まった背景には、二度の世界大戦、特に第二次世界大戦という、神や真実や善といった本質的存在を疑わざるを得ないような、人類が初めて体験した大きな災いが関係しているのは間違いありません。
戦争で全ての意味が破壊される悲惨な状況を見て、人々は神が人生に意味を与えてくれなかったことを悟り、「自分の人生以外に、自分の人生に意味を与えるものはなにひとつない」、つまり、「まずあなたが存在する。そして、人生に意味を与える」と考えるようになったのです。
古典的ヒューマニズムは、永遠不変の人間性の存在を信じるという人間の本質主義的概念を前提にしていました。しかし、実存主義者は、実存がまずあり、その本質はその後に実存である人間主体の実践によって決定される未決定なものであると考えました。これは、キリスト教における、人間には本質(魂)があり、生まれてきたこと自体が意味を持つという宗教的な考えを真っ向から否定するものでした。
その後、1960年代に入ると、実存主義は、「社会の構造が人間の意識を作るのであり、完全に自由な人間などいない」と考える、レヴィ=ストロース、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコーなどの構造主義(structuralism)による厳しい批判にさらされることになります。
構造主義は、社会人類学者で「構造主義の祖」レヴィ=ストロースが、世界各地の神話に共通で普遍的な構造が存在するのを発見したことから始まります。社会と文化の根底には有機的な構造が存在すると考え、歴史的出来事の記述よりも、そうした構造がなんであるかを見つけ出そうとするものです。それによれば、自分の主観も、自分を取り巻く文化的な価値観、家族、育った場所など、さまざまな要素からなる構造に依拠しているのであり、それが人生に意味を与えているのだとされます。
さらに、静止的な構造を前提とする構造主義に対する反動として、1960年代後半から1970年代後半のフランスにおいて興ったのが、ジャック・デリダに始まるポスト構造主義(ポストモダニズム)(poststructuralism)です。
ポスト構造主義は、構造主義を「時間の流れや歴史的な変化を考慮せずに構造を分析しようとしており、生成や変化といったリアルタイムで進行しつつある出来事を扱い得ない」と批判しました。こうした、近代的な物語を解体して脱構築(deconstruction)しようとする試みは、20世紀の哲学全体に及ぶ大きな潮流となりました。
さらに、ヴィトゲンシュタインの「言語論的転回」は、現代の哲学にとっての大きな転機となりました。「言語論的転回」とは、現実を構成するのは言語で、我々が知ることができる全ては言語によって条件づけられているのだから、思想を分析するためには言語を分析すべきであるという、哲学における方法論の転換のことです。
ヴィトゲンシュタインは、「およそ語りうることについては明晰に語りうる、そして、論じえぬものについては沈黙しなければならない」として、神の存在や人間の意識の中身など探りようがない、世界の客観的存在などあり得ないとしました。
こうして哲学の中心的な命題が言語の分析に置き換えられてしまったことで、現代の哲学は、強力な説得力を持つ自然科学に対して劣勢に立たされることになります。