哲学はこの「人が持つべき実践的な知識・学問の基本」である自由七科の上位に位置し、それらを統治するものと位置づけられていました。しかし、その上位には神学が位置しており、「哲学は神学の婢(はしため)」、つまり宗教が主人で哲学がそれに仕える奴隷のような関係にあるといわれていました。
この同じ時期に、東ローマ帝国(395年-1453年)は、古代ギリシア、ヘレニズム、古代ローマの文化にキリスト教、ペルシア、イスラムなどの影響を加えた独自のビザンティン文化を発展させていました。
しかし、1453年にオスマン帝国軍の攻撃でコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)が陥落すると、多くの学者がイタリアに移住しました。そのため、東ローマ帝国で継承されていたギリシア語の古典文献の読解が可能となり、古代ギリシア・ローマの学問の復興を目指す文化運動としてのルネサンスが興隆することになります。
理性で自然を認識する「人間尊重の時代」ルネサンス
ルネサンス(Renaissance)というのは、「再生」「復活」を意味するフランス語で、「文芸復興」と訳されることが多いです。イタリアでルネサンスが発展した背景には、富を蓄えた都市商人たちが文化事業を積極的に支援したことも挙げられます。こうして、教皇、皇帝、封建貴族が力を持った封建制の時代から、市民の現実的・世俗的感覚に基づく人間尊重の時代に移っていきます。
その後、中世末期の16世紀初頭から始まる宗教改革は、罪の償いを軽減する贖宥状(しょくゆうじょう)に対するマルティン・ルターの批判がきっかけとなり、教皇位の世俗化、聖職者の堕落などへの信徒の不満と結びついて、ローマ・カトリック教会からプロテスタントが分離する事態へと発展しました。
フランスでは、ジャン・カルヴァンが「神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予(あらかじ)め決められているとする」という「予定説」を唱えました。神から与えられた天職を禁欲的に全うすべきという禁欲的職業倫理は、またたく間にヨーロッパ各地に広がり、その後、マックス・ウェーバーが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、このカルヴァン派の予定説と職業倫理が資本主義の原型を生み出したという説を提示することになります。
このように、宗教改革でローマ・カトリック教会の権威が揺らぐ中で、14世紀にイタリアで始まったルネサンスで世界の中心が「神」から「人間」に移ることによって、人間の理性で自然を認識し、普遍的な真理に到達できるという世界観が生まれました。こうして、哲学における「神」の領域は徐々に狭められていき、その対象も「人間」に移行していくことになります。
堀内 勉
多摩大学社会的投資研究所 教授・副所長