かつて企業が巨大化していった過程とは
さて、話をもとに戻せば、そのようにして多くの人がAのセグメントに取り組むと、やがてこの領域の問題は解決されていくことになります。先述した通り、問題が解決してしまうとビジネスゲームは終了になるので、なんとかしなければいけないわけですが、ではどうしたかというと、ほとんどが「地理的拡大」をすることで、その問題を「先送り」することにしました。で、結果はどうだったかというと、これが非常にうまくいったわけです。
この「地理的拡大」というのは、このAの領域の問題にはとても馴染みが良かったのです。というのも「普遍的な問題」というのはつまり「誰もが同じように感じる問題」ということですから、アメリカでビジネスを行っていた人がアジアに地理的拡大を図る、あるいはアジアでビジネスを行っていた人がヨーロッパに地理的拡大を図る、ということを行ってもスムーズに新しい市場で受け入れられたからです。
まさにこれを実行し、爆発的に経済を発展させたのが我が国、日本でした。昭和後期の日本の主要輸出品である自動車と家電は、どちらも「普遍的な問題」を解消してくれるものでした。
「雨に濡れずに快適に移動したい」とか「食べものが腐らないように安全に保存したい」とか「暑くも寒くもない部屋で快適に過ごしたい」といった欲求は全世界的に普遍的なものです。このような「普遍的な問題」に取り組んだからこそ、日本の海外進出はあれほどうまくいったのです。
加えて指摘すれば、この領域の問題でビジネスを行うにあたっては、スケールがカギになります。「普遍的な問題」ということは、国の東西、老若男女、貧富の差異によらず、皆があまねく抱えている問題ということですから、このような問題に関する解決策=ソリューションは「誰にでも受け入れられる」ものであることが求められます。
モノの生産には強烈なスケールメリットが働きますから、市場を細分化して細かく適応しようとするよりも、そのような普遍的な問題を最大公約数的に解決できるソリューションを開発して、それを世界中で売りさばく、というアプローチは競争戦略的にも合理的です。自動車の世界でこれをやったのが初代のT型フォードですし、我が国の家電産業のほとんども上記の戦い方を徹底して世界進出を果たしました。
今日の社会には「従業員数十万人」といった恐竜のような会社が数多く存在しますが、こういった企業が歴史に出現するのは、19世紀後半以降のことです。歴史上、最初に1万人以上の従業員を抱えることになった企業は1870年創業のスタンダード・オイルだと言われていますが、これはつまり、それまで「数万人の会社」といったものは歴史上、存在しなかったということです。
経営史家のアルフレッド・チャンドラーも著書『経営者の時代』において「1880年代に入ってから急激に大企業が増加した」と書いていますね。
なぜ19世紀末のこの時期に「大企業」が生まれ、増殖していったかは上記の説明から明白になります。地理的にも人口動態的にも普遍的な問題を低コストに扱おうとすれば、必ず規模が重要な競争要因になるからです。
地理的に広範囲にわたる組織を運営するためには文書と権限規定から成り立つ巨大な官僚機構システムを必要としますし、コスト削減の強い圧力は上流から下流まで一気通貫するバリューチェーンを求めます。
これらのシステムを企業組織の境界をまたがって構築しようとすれば、経済学者のロナルド・コースが指摘した「取引費用」「探索費用」「管理費用」などが積み上がって著しい非効率化が生まれ、それは「誰でも買える値段で提供する」という戦略の阻害要因となるからです。
現在の資本主義社会において、このような「大企業」はスタープレイヤーとなっています。しかしながら、社会の要請が「普遍性の高い問題」から「普遍性の低い問題」へとシフトし、また「問題の質」が「物質的な不足」の解決から「精神的な飢え」の解消へと転換することになれば、かつての恐竜と同じように、多くの大企業は環境等の不和を起こし、ごく少数を除いて世の中から必要とされなくなるでしょう。
一方で、その真逆のトレンドとして、普遍性の低い個別的な問題の対処によって十分必要な対価を得ることができる小規模の集団や組織、あるいは多様化する精神的な価値へのニーズを充足できる個人や集団は、今後、ますます求められていくことになるでしょう。
山口周
ライプニッツ 代表
【関連記事】
税務調査官「出身はどちらですか?」の真意…税務調査で“やり手の調査官”が聞いてくる「3つの質問」【税理士が解説】
恐ろしい…銀行が「100万円を定期預金しませんか」と言うワケ
親が「総額3,000万円」を子・孫の口座にこっそり貯金…家族も知らないのに「税務署」には“バレる”ワケ【税理士が解説】