「実家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母親が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。日本の高齢化は進み、高齢者と後期高齢者という家族構成が珍しくなくなってきた。老いと死、そして生きることを考えていきます。本連載は松原惇子著は『母の老い方観察記録』(海竜社)を抜粋し、再編集したものです。

実家に戻って親子は「大家さんとわたし」

ひとりとひとりで暮らしましょう

 

妖怪は良かれと思い、わたしに気を使ってくれる。出かけるときは、靴がそろえてあるのには、最初、驚いた。父がいたときの習慣にちがいないが、わたしはあなたの夫ではな〜い。よけいなことするな〜。

 

言いにくかったが、ある日、わたしは妖怪に提案した。

 

「わたしは家庭を持っていないけど、独立したひとりの大人なの。もどってきたからと言って、子供ではないので、子供扱いしないでね。お互いに、ひとりとひとりの大人が住んでという意識になりませんか。知らない人に部屋を貸していると思ってもらえると、楽なんだけど」

 

最初は目を白黒させていた妖怪だったが、1ミリもボケてないので理解がはやい。翌日から、わたしの靴が散らばっていても文句を言わなくなった。心の中では「なんなの」と怒っているかもしれないが。言いにくいことを言ったおかげで、わたしたちは、「大家さんとわたし」の関係になり、やっと、息ができるようになった。

 

最近は、なんとなく暗黙のルールができて、いい距離が保てているのは、ありがたい。おすそ分けがあるときは、黙って階段に置いてある。以前は「お二階さん!肉じゃが作ったけど食べる〜?」返事がないと「どこに行ってるの」とブツブツ。

 

わたしも、「わたしはあなたのような主婦じゃないのよ。仕事してるのよ。書く仕事は集中しないとできないの。お金が自動的に入ってくるあなたとは違うの」と心の中で嫌味を言っていた。でも今は、甘いものを買って帰ったときは、1階をノックする。そこには、大家さんの笑顔がある。同居は、母も大変にちがいないが、わたしは、この生活のお陰で少しだけ大人になった気がする。


友達も距離が大事だ

 

これは母娘関係だけに言えることではなく、友達との間にも言えることではないだろうか。友達もくっつきすぎることから破綻する。いくら仲良しでも、すべて自分をさらけ出すのはよくない。所詮、人は孤独だと思う。でも、それでいいのではないだろうか。わたしたち母娘が、同じ屋根の下に住む前までは、とてもいい関係だったのは物理的に距離が離れていたからだ。相手をあまりよく知らなかったからだ。知らないというのは決して悪いことではない。

 

料理上手でおしゃれで明るい母はわたしの自慢だった。それが、間借りをして同じ屋根の下に住むようになったとたんに、二人の物理的な距離が縮まり、見なくてもいいことを見るようになり、だんだん、相手が鼻につくようになった。

 

母も同じだろう。ときどき会うのであれば、友達と同じで相手のいい面しか見えないが、毎日顔を合わしていると、相手に対する不満が出てくる。歩き方、ドアの開け閉めの音、そんなささいなことが、気にくわなくなるのだ。

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母の老い方観察記録

母の老い方観察記録

松原 惇子

海竜社

『女が家を買うとき』(文藝春秋)で世に出た著者が、「家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。 おしゃれ大好き、お出かけ大好…

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