「実家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母親が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。日本の高齢化は進み、高齢者と後期高齢者という家族構成が珍しくなくなってきた。老いと死、そして生きることを考えていきます。本連載は松原惇子著は『母の老い方観察記録』(海竜社)を抜粋し、再編集したものです。

親子のいい関係は「スープが冷める距離」

わたしが今回の同居で学んだことは、人と人との距離のことだ。親子だからわかりあえるというのは幻想だということが、身をもってわかった。血は水よりも濃いというが、果たして濃いのはいいことなのか。そんなことを考えるようになった。逆に、血縁だからゆえにドロドロした関係になりやすいのではないのか。

 

妖怪がわたしの母ではなく、他人の大家さんだったら、きっとうまく暮らせたに違いないと、若いときに住んでいたニューヨークで、他人の家で快適に暮らしていたことを思いだした。

 

人は、本当は誰とでもうまくやれる。うまくやれないのは、お互いの相性が悪いのではなく、お互いの距離が近づきすぎるせいではないのか。

 

親と同居していても「大家さんとわたし」の関係がうまく暮らしていけるという。(※写真はイメージです/PIXTA)
親と同居していても「大家さんとわたし」の関係がうまく暮らしていけるという。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

漫画『大家さんと僕』が大ヒットしている。1階が大家さん(80代の女性)2階にシングルの矢部さんが住む生活は、わたしたち母娘の暮らしぶりとよく似ているが、明らかに違う点は、矢部さんと大家さんは、他人と他人の関係である点だ。これが、大家さんが矢部さんの母親だったら、このベストセラーは生まれなかったはずだ。

 

ユーモアがあり心がほっとする矢部さんの作品は、他人同士の交流を描いたものだ。もし、わたしと母の同居生活を漫画にするとしたら、ほのぼのではなく、いじわる婆さんのような内容になりそうだ。

 

肉親であるからこそ、距離をもつことが必要だと経験から思う。世の中の殺人事件の約6割が家族間の殺人だという。ささいなことが、殺人にまで発展してしまったのは、距離が近すぎるゆえに、我慢ができなくなったからではないか。近すぎるから憎悪がわく。遠くなら会いたくなる。それが人間の心理だ。家族といつまでも仲良く暮らしたかったら、100キロ以上離れて暮らすことかしら。

 

距離的になかなか会えないとき、会いたいと思い、近いとうっとうしく思うのが、人間ではないだろうか。よく、親子のいい関係を「スープの冷めない距離」という表現をするが、わたしはここで言いたい。

 

親子に限らず、いつまでもいい関係でいたかったから「スープの冷める距離」ですよと。親の年齢や状況により、スープの冷める距離に住むことが無理な人も多い。その場合は、わたしが心がけているように、心の距離を置くことかしらね。

 

同居しているというと、一緒にご飯を食べていると思うらしいが、うちは「大家さんとわたし」の関係なので、煮物のおすそ分けはあっても、一緒に食べることはない。たぶん、だからうまく暮らしていけているのだと思う。

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母の老い方観察記録

母の老い方観察記録

松原 惇子

海竜社

『女が家を買うとき』(文藝春秋)で世に出た著者が、「家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。 おしゃれ大好き、お出かけ大好…

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