「実家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母親が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。日本の高齢化は進み、高齢者と後期高齢者という家族構成が珍しくなくなってきた。老いと死、そして生きることを考えていきます。本連載は松原惇子著は『母の老い方観察記録』(海竜社)を抜粋し、再編集したものです。

母娘に限らず、人と上手に暮らすのは難しい

わたしは同居修行中

 

母娘に限らず、人と上手に暮らすのは本当に難しいことだ。女性はある年齢になると、「ひとりは寂しいから結婚したい」という気持ちを持つのが普通だ。しかし、いくら好きな人とはいえ、人と同じ屋根の下で一緒に暮らすのは、そう簡単なことではないだろう。

 

「結婚は墓場だ」という言葉があるが、この言葉をはじめて発した人はすごい。きっと男性で、自分の体験から出た言葉にちがいない。

 

振り返ってみると、わたしが人と同じ屋根の下に住む経験をしたのは、自慢にならないが、若気のいたりで結婚した20代前半の数年だけだ。それ以後は、ずっとひとり暮らしをしていた。別に独身主義でも恋愛主義でもないが、自然とそうなっただけだが、既婚者の方には、なかなか理解してもらえない。

 

人と同じ屋根の下で一緒に暮らすのは、そう簡単なことではないという。(※写真はイメージです/PIXTA)
人と同じ屋根の下で一緒に暮らすのは、そう簡単なことではないという。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

未だに、「寂しくないの?」と聞かれるのには、ほとほと閉口する。

 

今度聞かれたら本音で答えようと思う。「寂しくなくてごめんなさい。ひとりは最高よ。結婚って、そんなにいいですか」と。そしたら、相手はどんな顔をするかしら。

 

ここだけの話だが、新婚時代、相手が部屋にいる息苦しさを感じたわたしは、やはり変わっているのかもしれない。いや、もともと、他人と同じ部屋で暮らす結婚に向かない人間なのだ。別居でもわたしはダメだ。相手を決められているというのが性に合わない。


 
30代になると、誰もが結婚していき、取り残された寂しさを感じて、お相手を紹介してもらったこともあったが、気がすすまなかった。周りの人は、結婚すると経済的に楽よと、フリーだったわたしにアドバイスしてくれたが、「別に貧乏でもかまわない」というわたしがいた。

 

ひとりの人は自由だ

 

今わかったことだが、わたしは結婚を否定するものでも、また、ひとり暮らしを推奨するものでもなく、ただ、人に左右されずに自由に生きたいだけなのだと。

 

わたしは、人間関係がややこしいのが嫌いなのだ。ただ、それだけだ。

 

結婚すれば夫との関係はもちろんのこと、夫の両親との関係、子供が生まれれば、子供との関係、そして子供を取り巻く学校の人間関係、近所との人間関係など、関係づくめだ。結婚したあとに、自分が自由になりたければ離婚しなければならない。子供がいれば離婚をとどまることも出てくる。その葛藤たるや半端ではないだろう。

 

わたしはこれまで、自分がひとりでいることについて、特に分析したことはない。ひとりが好きだから程度にしかとらえていなかったが、マンション漏水事件により引っ越しを余儀なくされ、母という「人」と暮らすことになり、自分の生き方を見つめる機会をもった。

 

もしあのまま、目黒で悠々自適なひとり暮らしを続けていたら、親子について考えることもなかっただろう。そして、何よりも、この本が生まれることもなかった。

 

母がまだ元気なうちに、自分の一番苦手な暮らし方をすることになったのも、「修行しろ」という天の計らいのような気がしてならない。

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母の老い方観察記録

母の老い方観察記録

松原 惇子

海竜社

『女が家を買うとき』(文藝春秋)で世に出た著者が、「家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。 おしゃれ大好き、お出かけ大好…

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