本記事は、西村あさひ法律事務所が発行する『危機管理ニューズレター(2021/3/31号)』を転載したものです。※本ニューズレターは法的助言を目的とするものではなく、個別の案件については当該案件の個別の状況に応じ、日本法または現地法弁護士の適切な助言を求めて頂く必要があります。また、本稿に記載の見解は執筆担当者の個人的見解であり、西村あさひ法律事務所または当事務所のクライアントの見解ではありません。

3 今日的課題

2で述べたように現行制度は、問題点がないとは言えないものの、これまでのところは適切に運用され、残念ながら発生する「えん罪事件」を限りなくゼロに近づけることを除けば、あまり問題があるとは考えられてきませんでした。

 

しかし、以下に述べるように、今日的課題を考えると、検察官及び検察審査会(以下一括して「検察官等」ということがあります)の起訴判断を適切にチェックする法理やメカニズムを導入することが必要になっていると考えています。

 

(1)新技術の発展を刑事司法が阻害しないようにすること

 

今日、ハード・ソフトを問わず、新技術の開発・実用化は、顕著・急激になっています。こうした新技術は、サイバー攻撃などに代表されるように犯罪に悪用されることもあれば、他方において、AI、再生可能エネルギー、自動運転、産業や医療等へのセンサー活用、MRA方式によるワクチン開発など、人々の生活や健康、産業や経済、社会の安全などに大きな進歩をもたらすことが期待されています。

 

こうした新技術の開発・展開については、プライバシー、個人情報、知的財産権などの他人の権利や法的利益をおよそ侵害しないことが明らかであるとは限りません。消費者や、あるいはライバルのメーカーや研究機関等が、犯罪だと告訴告発してもおかしくない場合もあり得ます。だからといって、検察官等が新技術の開発・展開について、有罪の十分な見込みがあるとして、刑事事件として起訴すれば、仮に罰金程度の軽い刑で済んだとしても、あるいは、数年後に裁判所が無罪にしたとしても、当該新技術の開発・展開を足止めすることになります。

 

また、当該新技術に限らず、当該新技術を適用する周辺分野や、全く別の新技術の分野でも、研究開発や事業展開等に関係する人たちに、「自分たちがやっていることも起訴されるのではないか」と、萎縮効果を与えることになります。

 

人の生命・身体に被害を与えたり、そうした危険が低くないのであればともかく、そうでない限り、新技術の開発・展開については、たとえ犯罪が成立するとしても、起訴しないことが適切な場合が少なくないと思われます。現行制度では、起訴されたら、裁判所も、証拠がある以上は、有罪にするしかありません。裁判所が出来ることは、せいぜい、罰金にするとか、実刑にしないで執行猶予をつけるという程度です。

 

仮に他人の財産権などの侵害があったとしても、民事の裁判で被害者救済をすることでよいとも考えられます。刑事司法制度は、基本的に、人を死刑にしたり刑務所に入れたりすることを前提として設計されている制度であり、その刑事司法制度で処罰すべきと言えるほどの起訴価値がある事件なのかどうかは、慎重な検討が必要となります。

 

まして、検察官等は、技術の専門家ではありません。既に確立した技術の評価であればまだしも、検察官等が、新技術が関係する刑事事件において、将来にわたり当該新技術がもたらす可能性のある便益をも予測しながら、今後の技術開発等に与える萎縮効果等の弊害も考えつつ、起訴・不起訴を適切に判断することは、極めて難しいのではないかと思います。

 

こうした問題が顕在化した事案の一例として、近時のコインハイブ事件があります。詳細や法的検討等は、脚注に引用した文献2※2に譲りますが、事件の概要は、次のとおりです。

 

※2 西貝吉晃「技術と法の共進化を企図した法解釈の実践―コインハイブ高裁判決を素材に」法学セミナー792号40頁、木下昌彦「コンピュータ・プログラム規制と漠然性故に無効の法理(上)(下)―コインハイブ事件を契機とした不正指令電磁的記録に関する罪の憲法的考察―」NBL1181号4頁、NBL1182号39頁参照。

 

被告人は、自己が運営するウェブサイトにジャバスクリプトを組み込んで、サイトにアクセスしたユーザーのPCで、ユーザーの了解もとらないで、勝手に仮想通貨のマイニングを行わせて、収益源にしていたという事案であり、いわゆるコンピューター・ウィルス罪、すなわち、不正指令電磁的記録保管等の罪に問われました。

 

これは、一見すると、立派な犯罪のように見えます。本件を、他人(ユーザー)のPCで、他人の電気代で、他人に断りなく、不当に金儲けをしていると捉えれば、検察官等が起訴するとの判断を行うこともおかしくありません。

 

しかし、論者が指摘しているように、多くのウェブサイトは、サイトを訪れたユーザーから閲覧料のような金銭的利益を徴収しない代わりに、いわゆるターゲット広告などに代表されるような、クッキーを活用した広告収入を得て、サイトを運営しているわけです。この場合も、ユーザーの明示的な了解がなく、ユーザーのPCを作動させているわけであり、コインハイブ事件との差異がどこにあるのかとなると、かなり微妙になります。

 

クッキーは、これまで社会で許されると考えられていたが、コインハイブは、今回の起訴で、社会で許されることではないと捜査当局が考えていることが明らかになった、という程度の差異しかないかもしれません。この事件が最終的に有罪になるにせよ、無罪になるせよ、コインハイブ事件の起訴は、今後のジャバスクリプト等を活用した新技術の開発・展開を抑止したり、少なくとも萎縮させたのではないかと思います。

 

ここで問題にしたいのは、コインハイブ事件が有罪かどうかや、いわゆるコンピュータ・ウィルス罪の構成要件の解釈が明確になるかどうかではありません。こうした事件を起訴することそれ自体が、有罪か無罪の結論に関わりなく、新技術の開発・展開を抑止したり、萎縮させたりするのではないか、それを検察官等が適切に判断できたのか、ということです。

 

今日、ターゲット広告に関し、個人情報保護を強化する方向性ですが、だからといって、社会や立法府等による議論の深化や、国民的議論を経た許容範囲の決定などに先立って、検察官等が先例を率先して作ることが適切かどうかも問題になります。起訴されれば、裁判所は証拠がある限り有罪にして科刑する以外の選択肢は基本的にないからです。

 

こうした起訴・不起訴の当否の判断を更に難しくするのは、「それでは、新技術が関係する事件だから、検察官等は一切不起訴にすべきだ」というほど、単純な割り切りもできないことです。新技術かそうでないかをどのように判断するのか等の問題もあります。新技術とはいえ社会に与える実害を看過できないから起訴すべきか、という事案も十分に想定できます。

 

以上のように、新技術の開発・展開が関係する事件の起訴・不起訴の判断は難しく、単なる証拠収集や法令解釈の範囲を超える判断が求められることになります。従来型の財産犯や性犯罪、殺人、暴力犯、汚職や会社犯罪等といった犯罪の場合の訴追判断とは異質な判断が求められることになります。起訴が新技術の開発・展開に与える抑止・萎縮効果は、刑事罰が問題とされるだけに、大きいものがあり、そうした抑止・萎縮効果が社会にもたらすマイナスも大きいものとなる可能性があります。

 

そのため、検察官等による起訴の判断については、従来とは異なる視点から、その適正妥当をチェックする仕組みを検討することが必要であると思われます。アイディアの段階にとどまりますが、例えば、次の通りです。

 

①検察官等は、起訴するかどうかを判断するに際して、新技術の開発・展開等が関係する刑事事件においては、事前に他の行政機関や公的団体などの意見を聴取する。場合によっては、被疑者の特定につながる情報を秘密にするなどして、パブリックコメントを求める。

 

②検察官等の起訴の判断に対して、他の行政機関や公的団体などが意見を提出し(米国におけるアミカス意見〔amicuscuriae〕のようなもの)、裁判所は、そうした意見を斟酌して、検察官等の起訴がその訴追裁量権を超えて著しく不合理であると認められるときは、実質審理に入る以前の段階で、公判手続を打ち切る。事案によっては、既に知財の民事事件で行われているように、裁判所がパブリックコメントを求めることも考えられる。

 

以上のうち、①は運用で対処できますが、②は法改正が必要になると考えられます。

次ページ司法取引制度を踏まえた検察官の起訴判断の適正化の確保

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○執筆者プロフィールページ 木目田 裕

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