F社の事例「5000万円分だけを補助対象」の依頼が…
ある水産物加工会社の例。F社としておく。
F社が使用していた生産ラインは旧式のもので、最新のラインを導入している同業他社にたちうちできないこと、修理費などの維持費用もかさむ一方であることから、ラインの入れ替えを計画した。具体的な機種のしぼりこみまで進行したころで、入れ替え予定のラインは震災による津波で全壊してしまった。
そこで、震災前に予定していたとおりの最新式のラインを導入しようとしたが、グレードアップであるからと認められなかった。F社は、最新式のラインと旧式のラインの導入費用の差額は自己負担とするので、旧式のラインを復旧したものとして、その価額を補助対象として認めてほしいと要望した。
つまり、こういうことである。再度旧式のラインを導入すれば5000万円かかるが、補助対象経費として認定される。最新式のラインを導入するには8000万円かかるがグレードアップなので補助金は出ない。しかし、どうしても最新式のラインが必要である。差額の3000万円は自己負担とするので、旧式のラインの5000万円分だけを補助対象としてほしい、と要望したのだ。
このF社の要望は認められなかった。いくら差額は自己負担するといってもグレードアップであれば補助金は1円も出ないのだ。「震災前の姿に戻す」というのがグループ補助金の趣旨なので、震災前より豊かになることは認められないのだ。
震災前に売上減少の一途であった企業が、被災してすべてが無になったとする。補助金をもらってなんとか新規まき直しを図ろうとする。
いやいや、それはいけません。補助金をあげますから震災前の右肩下がりの状況に戻しましょう。こんなばかな話はない。
もちろん国は、震災前に傾いていた企業は補助金を出すからもう一回傾けとは言っていない、そんなことは言うはずがない。しかし、そう言っているのと大差はない。
確かに「焼け太り」は認められない。それはわかる。しかし、実はこの問題の本質は焼け太りは許されないという問題ではなく、補助金の効果の問題なのだ。グループ補助金に限らず、どんな補助金についてもそうだと思うが、ある補助金についてそれがどのような効果を挙げたのかということについて議論されることはほとんどない。
役人の仕事は与えられた予算を使い切ることであって、その効果について考えることはないのだ。補助金は本当に役に立ったのか、それともどぶに捨てたのと同じなのか、などと考えることはないのだ。
F社については、その後どうなったか私は確認していないのだが、仮に旧式の生産ラインで復旧したとしよう。そして、やはり旧式のラインではうまくいかず事業閉鎖になったとしよう。
これは結局、せっかくの補助金が活きなかった、無駄になってしまったということになるのだが、役人はそんなことは気にかけないのだ。彼らの仕事は、補助金を出してしまえばそれで終了なのだ。彼らにはその後のことを考える余裕はない。
私は役人を非難しているのではない。そういう仕組みになっていることが問題だと思っている。
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庄司 進
1952(昭和27)年仙台市生まれ。
東北大学経済学部卒業後、国民金融公庫(現日本政策金融公庫)に入庫、小企業への融資事務に従事。
2012(平成24)年公庫を定年退職、2013(平成25)年から宮城県経済商工観光部に期限付職員として勤務、補助金の交付事務に従事し、2018(平成30)年退職。現在は仙台市に在住。
著書に『日本の銀行と世界のBANK』(幻冬舎ルネッサンス新書)、『お役所仕事の倫理と論理』(創栄出版)、『危険な思想-狩野亨吉と安藤昌益』(無明舎出版)がある。