当事者だと気づかない…ノルマに追われる日々の末路
コンビニの登場で、どれほど暮らしやすくなったことでしょう。
昔は、雑貨屋さんが町に1軒あるかないかで、夕方になると店は閉まってしまいました。店が閉まった後に、たどり着き、翌日出直したという記憶のある方はたくさんいます。そうした時代からすれば隔世の感があります。
一方、コンビニの出店競争は過激なものとなっていました。私の家の近くにコンビニが1軒あります。道路を隔てて、もう1軒コンビニがあります。それも同じブランドです。距離にして徒歩100歩です。
マーケティングの理屈はこうです。道路で動線が異なるので、商圏は全く異なり大丈夫ですとオーナーを口説き落としたに違いありません。マーケティングの論理も、大量消費、大量生産、大量廃棄のパラダイムの中にあるのです。
このようにビジネスの論理も異常ともいえるほど「高度に非論理的」になっていました。徒歩100歩圏内に、しかも24時間営業店舗が2軒必要であると近隣の誰が思ったでしょうか。そうしたオーバーコンビニエント状態が今日だったのではないでしょうか。
現在、そのコンビニの内1軒は取り壊され、空き地になってしまいました。競争に生き残らなければならない。私たちは市場が収縮する中で、競争相手を打ち負かし、あるいは次々と企業買収を繰り返し、規模においてナンバーワンになることを目指してきました。規模が唯一の目安になりました。
人口減少社会では、市場シェアを押さえた者が勝ちであり、シェアを落としたものは敗者。小売業で、日本一の売上を実現する、製造業では生産台数世界一を目指す。小売業日本一、製造業で日本一、世界一にたどり着いたものだけが勝者になりました。業界で1社しか生き残れない、こんな価値観が長く続きました。
しかし、どうでしょう。日本一になって敵はもはやいないと思ったところ、人口減少社会という敵が目の前にありました。売上日本一を目指したものの、人口減少とともに売上が落ちて驚いているのです。
何と経営者はミクロ(経済)の世界に生きていることでしょう。マクロ(経済)の枠組みの中でしか活動できないにもかかわらず、全体を見ようとしない。これこそ驚くべきことです。これをシステマティック・リスクと呼ぶのですが、競争する前からわかっていたことです。
私たちは目の前の競争に目を奪われ、しかも目先のノルマに追いかけられ、気づくのが遅れてしまいます。このようなコンビニの競争の愚かさは、誰の目にも明らかなのですが、当事者になると見えなくなってしまうのです。
私たちはほとんどの人が、一生懸命働いて一生を過ごします。しかし、一生懸命働いても、豊かさを実感できずに、一生を終えてしまいます。何とも残酷な話です。なぜでしょう。みなさんはその理由を知っています。ある程度の収入を得たとしても、生活コストがかかりすぎるからです。
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