トヨタの危機管理は他社と何が違うのか?
危機管理と対処は実はどこの会社でもやっていることだ。そして、どこも特別、変わったことをやるわけではない。
たとえば…。
担当者を決める。会議を開く。情報を収集する。対策を決めて、実行する。
これに尽きる。
どの会社でも、こうした対処で危機を乗り越えてきた。トヨタだって、原則的なやり方は同じだ。
ただし、トヨタは他社がなかなか真似できないことをやっている。たとえば、「社長や幹部に報告書を上げない」のは好例だ。トヨタでは社長や幹部たちは大部屋にやってきて、自ら危機の状況と対処を情報収集する。
社長自らが主導しない限り、こんなことはできない。トヨタは危機を乗り越える際、ちゃんと自分たちの武器を持って戦っている。そして数々の危機を乗り切ってきただけに、武器の種類もまた豊富だ。
この連載ではトヨタの危機管理が他の会社とはどこが違っているのか。特徴を抜き出して、解説する。
「それでもできる」で突破口は開ける
「それしかない」と「それでもやれる」は根本的に違うということだ
危機が起きて部品が滞留しそうになると、生産調査部の若手が先遣隊として派遣される。
それは日頃から生産調査部が協力工場に生産性向上の指導に行っているので土地勘があるからだ。また、危機からの復旧とは設備、機械を直して生産すること、その際、リードタイムを短くしてなるべく早く製品を出すことで、それは元から生産調査部がやっている仕事だ。
そして、被災した現場で重要な考え方が、「『それしかない』と『それでもやれる』は根本的に違う」である。
これはトヨタ生産方式を体系化した大野耐一の補佐役だった鈴村喜久男の言葉だ。
危機に慣れていない当事者は「あれもない、これもない、ここには何もない」とパニックになる。もしくは、「助けが来るまで待とう」と復旧をあきらめてしまう。しかし、トヨタ生産方式の改善で鍛えられているスタッフは「それでもできる、これでもできる」と頭を切り替える。そうすれば突破口は開ける。
危機を乗り越えるための完璧な準備などありえない。そもそも、危機の初期は情報だって正しいとは限らないから準備したものが間違っている可能性だってある。
一九九五年、地下鉄サリン事件が起こった時の第一報はサリンガスの散布ではなく、「爆発事故」だった。それと知らずに、ガスに対しての防備を持たずに現場に飛びこんだ警官、消防隊員は大きな被害にあっている。
情報をチェックし、準備はするけれど、足りない場合はその場にあるもの、手に入るもので代用することを考える。