「家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母親が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。日本の高齢化は進み、高齢者と後期高齢者という家族構成が珍しくなくなってきた。老いと死、そして生きることを考えていきます。本連載は松原惇子著は『母の老い方観察記録』(海竜社)を抜粋し、再編集したものです。

入院した90代の母が1週間で歩けなくなる

どんなにしっかりしていても、どれほど注意深く暮らしていても、年齢はあなどれないと感じた出来事が起きた。

 

ある11月の明け方、階下からすさまじい叫び声が聞こえた。妖怪の叫び声だ。火事か? それとも、かわいがっていたあの通い猫チーちゃんが死んだのか?

 

とにかく、尋常ではない叫び声にあわてて降りていくと、妖怪が頭から血を流しながら、ゴキブリのようにひっくり返り、手足をばたばたさせているではないか。

 

入院患者になったとたんに母親は弱々しい年寄りになったという。(※写真はイメージです/PIXTA)
入院患者になったとたんに母親は弱々しい年寄りになったという。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

ピンピンの母の面影はなく、まんが日本昔話の「舌切り雀」にでてくるお婆さん。入れ歯を外した口もとがさらに老婆度をあげていた。

 

わあ、同じ人とは思えない! 本物の妖怪だわ!

 

「ああ…めまいがする。めまいが…ああ…」頭からは血がどくどくと流れているが、転んだわけではないらしい。トイレに行ったあと、めまいで倒れて頭を打ったのか、その辺がはっきりしない。

 

とにかく救急車を呼んだ。おそらく、わたしがこの状態なら、救急車を呼ぶこともなくそのままにしているだろうが、母は生きる意欲満々の人なので呼んだ。

 

病院に運ばれたが、救急室のドアはなかなか開かない。もしかして、半身不随になるかもしれない。元気とはいえいつ死んでもおかしくない高齢者だ。高齢者は、こうしたちょっとしたきっかけで死に至るのか。

 

妖怪、歩けなくなる

 

伝えられた病名は急性硬膜下血腫。聞いたことのない脳の疾患だが、ボクサーが頭を打たれたことが原因で亡くなることがある、あれだそうだ。

 

どの程度の損傷か調べるために、そのまま入院となった。大きな病気をしたことのない母にとり、入院は、相当のショックだったようだ。人間は不思議だ。入院患者になったとたんに妖怪は弱々しい年寄りになった。グリーンの貸パジャマを着た母が囚人に見えた。

 

父は若いときに結核を患い、療養生活を余儀なくされた経験をもつが、大きな手術で入院した経験はない。妖怪も、若いときは身体が弱かったようだが、入院手術の経験は確か、ないはずだ。

 

ありがたいことに、わたしは家族の付き添いで病院を訪れたことがない。

 

「よそのうちは、誰が入院だ、手術だって大変だけど、うちは誰もいないわね。ありがたいことね」

 

妖怪によると、欲をかかない生活をしているからだそうだが、そういうことにしておこう。

 

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母の老い方観察記録

母の老い方観察記録

松原 惇子

海竜社

『女が家を買うとき』(文藝春秋)で世に出た著者が、「家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。 おしゃれ大好き、お出かけ大好…

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