「家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母親が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。日本の高齢化は進み、高齢者と後期高齢者という家族構成が珍しくなくなってきた。老いと死、そして生きることを考えていきます。本連載は松原惇子著は『母の老い方観察記録』(海竜社)を抜粋し、再編集したものです。

「あんたは女優か?草笛光子か?」娘の一言

朝からごそごそ音がする。玄関の脇に置かれた黒のエナメルのガラガラは、まるでご主人のお出かけを待つ召使いのようだ。一度も磨かれたことがないわたしのガラガラとは大ちがいだ。掃除の行き届いたピカピカの玄関は、とても年寄りが住んでいるとは思えない活力を感じる。

 

わたしには、ものを磨く発想があまりない。汚くなったら捨てて新しいモノを買う。だからわたしは、あまりモノを大切にしない方かもしれない。いえ、モノだけでなく夫も人間関係もお金もなんでも大切に育むことが苦手だ。よく言えば、モノに執着がないと言えるかもしれないが。

 

玄関に朝の凜とした空気が漂っている。妖怪の部屋をのぞくと、引き出しから出した洋服の数々がベッドの上にのっている。どれを着ようか考え中のようで、わたしの顔を見ると「どっちがいい?」と、黄色系の柄物のトップスを取り上げた。

 

老いてますます楽しく暮らすには、おしゃれをして外出することだという。(※写真はイメージです/PIXTA)
老いてますます楽しく暮らすには、おしゃれをして外出することだという。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

妖怪は近所でもお友達の間でもオシャレで知られている人だ。まったくもって不思議なのだが、人が着たらおかしいだろう服を見事に自分のものとして着こなす。ブランドは好きでないようだが、イッセイのパンツを好んではく。

 

例のプリーツプリーズだ。「王様と私」のユル・ブリンナーがはいていたバルーンタイプの金色のパンツはよく似合う。

 

ファッションセンスには脱帽だ

 

妖怪のファッションセンスには、ふだんは辛口のわたしも脱帽する。

 

「こっちの方がいいかしら。ほら、カーディガンを羽織るとこんな感じ」

 

また、そのカーディガンが普通ではない。カーディガンと言えば、白や無地の、寒さ対策のカーディガンを思い浮かべるだろうが、見たことのないすごいデザインのものばかりなので、説明するのがとてもむずかしい。

 

そう、まるで舞台衣装のように柄物と柄物を組み合わせ、しかもそれが似合うのだからびっくりさせられる。妖怪でしか着こなせない独特のファッションだ。実はこのファッションのせいで、友達からお呼びがかかるのである。

 

「見て! わたしのお友達、松原さん。素敵でしょ。何歳だと思う? 92歳よ」と友達は、おしゃれな妖怪のことを自慢するのがうれしくて食事や観劇に誘うようだ。

 

妖怪のセンスはどこで磨かれたのか。女学校を出たあと、服飾専門学校の老舗、目黒のドレスメーカー女学院に通っていたことから、若いときからセンスがよかったのかもしれない。とはいえ、わたしが子供のころの妖怪は、ここまでぶっとんではいなかった。

 

洋服はオーダーで作り、布地はエレガンスで、共布で必ず帽子を作ってもらっていたが、わりとシックな装いだった気がする。そのころから帽子は、妖怪の頭の一部なので、室内以外で無帽ということはまずない。

 

また、その帽子のデザインがすごいものばかりだ。絶対に売れないだろうと思われる奇抜なものばかり。例えば、ソフトクリームのような形の帽子とか、モンゴルの遊牧民がかぶっているような帽子とか、鳥の巣のような白い羽で覆われている帽子とか。わたしには、とても恥ずかしくてかぶれそうもない帽子ばかり。しかも、色も素材もいろいろで、手入れのいい妖怪の帽子は、100個はくだらない。

 

「あんたは女優か? 草笛光子か?」と嫌味を言いたくなるほどだ。

 

妖怪は、若いときより老いた今の方が、ファッションセンスに磨きがかかり、今では、母と言えば「おしゃれでかわいい!」が、会う人の共通認識になっているのだから恐れ入る。ただの主婦にしておくのはもったいないので、これからシニアモデルとして稼いでもらいたい気分だが、ちょっと背中が曲がりすぎだからあきらめよう。

 

次ページ39度の真夏「暑いから、出かけてきまーす」
母の老い方観察記録

母の老い方観察記録

松原 惇子

海竜社

『女が家を買うとき』(文藝春秋)で世に出た著者が、「家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。 おしゃれ大好き、お出かけ大好…

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