「もう少し、静かに暮らしたいだけ」
「ごめんね、もう耐えられない」
そう言って家を出たのは、由紀子さん(仮名・72歳)です。夫の正男さん(仮名・77歳)と結婚して50年。子どもは独立し、夫婦二人の年金生活が始まって数年が経っていました。
由紀子さんの年金は月11万円。正男さんは月16万円。合計すれば月27万円です。
「数字だけ見れば、やっていけそうじゃない?」
周囲にそう言われることもありました。けれど由紀子さんは首を振ります。
「“二人で暮らす”って、お金だけの話じゃないんです」
別居の決定打になったのは、ある夜のことでした。テーブルに置かれたコンビニ袋。レシートを見ると、酒とつまみと雑誌で3,800円。
「また?」と聞くと、正男さんは不機嫌そうに言いました。
「年金もらってんだから、これくらい楽しませろよ」
由紀子さんは言い返せませんでした。生活費は由紀子さんが管理していましたが、正男さんは「小遣い」の範囲を守らず、足りないと財布から抜くこともあったのです。
「あなた、今月の病院代は?」
「知らねえよ。痛くなったら行く」
通院や薬代の見通しも立たないまま、光熱費や食費のやりくりの皺寄せは、いつも由紀子さんに来ました。
総務省『家計調査(2024年)』によれば、高齢夫婦のみの無職世帯は平均的に毎月赤字になりやすく、貯蓄の取り崩しで埋める構造が示されています。由紀子さん夫婦も同じでした。
固定費に加え、正男さんによるちょっとした支出が積み重なり、月末はいつもぎりぎり。由紀子さんは封筒に分けて現金管理していましたが、それでも間に合わない月が増えました。
「年金って、たいして増えないんですよね。物価は上がるのに」
