「京大は1人の天才と、99人の馬鹿を作る」は本当か
鳥集 京大医学部のOBに話を聞くと、京大はいい意味でも悪い意味でも放任主義だそうです。研究をやりたい人は、勝手にやりなさいと。手取り足取り教えない代わりに、まわりには世界トップレベルの研究をしている研究者がたくさんいる。彼らのところに自分から行けば、喜んで何でも話してくれる。それが、変わり者が多いけど、オリジナリティーの高い研究が生まれる土壌になっていると。
ただ、放任主義なので、サボる学生も多い。「京大は1人の天才と、99人の馬鹿を作る」という言葉もあるそうです。
一方、東大医学部は新しい発想を持つ人間を育てない。ある東大医学部OBからこんな話を聞いたことがあります。
「そもそも、東大に新しい発想なんて要らないのです。東大は基本的に文科省、厚労省の御用達大学ですから、もともと超保守的で、新しいことは煙たがる。むしろ、国から研究費をどんどん取って、分配するのが仕事なんです。
私の先輩は、5年間で10億円くらい研究費を取って、10ヵ所くらいに分配していました。でも研究費を取ってから、『何をやればいいか?』と聞いてくるんです」と。つまり、東大理Ⅲを突破できる総合的能力の高い人たちは、新しい研究よりも、「まとめ役」のような仕事のほうが向いているのだというんです。
和田 それは本当に、東大医学部教授本人の能力が高いからでしょうか?東大医学部教授が「まとめ役」をやったときに、その助手や医局の部下たちの統計処理能力とか事務処理能力が異様に高いのだと私は思います。確かに、理Ⅲに受かったばかりの若い連中は、論文をババッと集めてきて、善し悪しも含めてそれを解析し、結論を出すような仕事は得意かもしれません。すなわち、東大医学部は、「問題発見能力」が高いかどうかはわかりませんが、総じて「問題解決能力」は高いはずなのです。
鳥集 「問題発見能力」と「問題解決能力」は違うのですね。
和田 ただ、「問題発見能力」というのは、本来は高等教育で身につけさせる能力であって、東大医学部入試の責任ではありません。この国は、教育審議会の委員のほとんどが大学教授ですから、やり玉に挙がるのはいつも、自分たちが責任を負わなくてもいい初等・中等教育なのです。
たとえば、池上彰氏がテレビのバラエティ番組で何かを説明するとするじゃないですか。もしこれが欧米ならば、中卒や高卒の視聴者は、「そうだったのか!」と頷きますが、大卒以上ならば、「いやいや、そうとは限らんぞ」とか、「他にも考え方があるじゃないか」とテレビに向かってツッコむはずです。だけど日本は、学歴に関係なく、博士を持っている人まで、「そうだったのか!やっぱり池上さんはすごい」となる。日本の視聴者は、チョロいんですよ。
鳥集 しかしながら、京大や阪大と比べて、今の東大医学部は「問題発見能力」よりも「問題解決能力」のほうが長けているように見えます。
和田 鳥集さんが言わんとしていることはわかります。先ほどもお話ししたように、「自分で気づく人間」を育てる土壌は、東大医学部よりも京大医学部のほうに圧倒的にあるということでしょう。ただし、その京大ですら、山中氏も含めて、京大内だけでずっと教授をしている人でノーベル賞を取った人というのは、この30~40年はいないはずですよ。
鳥集 2018年にノーベル生理学・医学賞を取った本庶佑*さんは、長年京大医学部にいるはずですが。
◆本庶佑
ほんじょたすく。1966年京都大学医学部卒。71年より渡米、カーネギー研究所、国立衛生研究所で免疫学の研究。帰国後、大阪大学医学部教授を経て、82年から京都大学医学部教授。免疫を司る細胞のなかにある物質が、体のなかで免疫が働くのを抑えるブレーキの役割を果たしていることを発見、新しいタイプの治療薬「オプジーボ」開発につなげた。この功績により、2018年、ジェームズ・アリソン博士とともにノーベル生理学・医学賞を受賞。
和田 しかしながら、アメリカのカーネギー研究所*やその他の研究機関で長年研けん鑽さんを積んでいるはずです。つまり日本でノーベル賞を取っている理系研究者の多くは、湯川秀樹とか朝永振一郎*とか初期の人以外は留学組です。
ほぼ日本だけで理系研究している人で、ノーベル賞を取った人というのは、田中耕一*氏、中村修二*氏、そして先の吉野彰氏。彼らの共通点は、「企業研究者」であることです。企業研究者は教授の顔色をうかがわずに済む分、自由度が増すのでしょうね。もちろん、成果を出さないと配置転換されるリスクは当然あるでしょうが、名より実を取る研究をしたいなら、下手に医局に残るよりも企業に入ったほうがいいと思います。田中耕一氏に至っては大学院にも行かずにノーベル賞を取っている。これは世界的に珍しい快挙です。逆に言えば、理系のノーベル賞は、もはやただ日本の大学にいるだけでは、決して取れないのです。
◆カーネギー研究所
1902年設立、科学研究の支援を目的としているアメリカの財団。設立者は、「鋼鉄王」と称されたスコットランド出身、アメリカ人のアンドリュー・カーネギー。慈善家としても知られる。
◆朝永振一郎
ともながしんいちろう。19299年京都帝國大学理学部卒。49年より東京教育大学教授。52年文化勲章受章。56年からは東京教育大学学長。65年、量子電気力学における基礎的研究でノーベル物理学賞を受賞。湯川秀樹とは大学も卒業年も同じ、父親が京大教授というところまで同じなため、永遠のライバルと称される。
◆田中耕一
たなかこういち。1983年東北大学工学部卒。同年島津製作所入社。化学者、エンジニア。かつては難しいとされていたタンパク質の質量測定に関して、「ソフトレーザー脱離イオン化法」という質量分析方法を発見したことで、2002年、ノーベル化学賞を受賞。受賞時、修士号も博士号も持たない研究者が受賞したのは世界初。島津製作所は、質量分析装置の新規技術と応用技術の開発を推進するため、03年1月に田中耕一記念質量分析研究所を開所。
◆中村修二
なかむらしゅうじ。197年徳島大学工学部卒、79年修士課程修了、日亜化学工業に入社。工学博士。93年、青色LEDの実用化に成功。2000年よりカリフォルニア大学サンタバーバラ校教授。05年にアメリカ国籍を取得。青色LEDに必要な高品質結晶創製技術の発明で、赤﨑勇(名城大学大学院)教授と天野浩(名古屋大学大学院)教授とともに14年ノーベル物理学賞を受賞。
鳥集 今から東大医学部に入る人たちは、医学部にいる教授をロールモデルにするよりも、自分がしたい研究を突き詰めている外部の人をロールモデルにしたほうがよいということですね。
和田 受験と同じで研究ももちろん、競争をしなければなりません。しかし、上の人が、何をもって勝ちとするのかによって、研究のやり方が変わってきてしまうわけです。名誉ばかりにこだわっていては世界とは戦えないということは、昨今の受賞者の方々の経歴が明らかにしてくれています。