「家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母親が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。日本の高齢化は進み、高齢者と後期高齢者という家族構成が珍しくなくなってきた。老いと死、そして生きることを考えていきます。本連載は松原惇子著は『母の老い方観察記録』(海竜社)を抜粋し、再編集したものです。

父は、なんと理想的な死に方をしたのだろう

理想的な父の死に方

 

今年92歳の母は、こよなく愛する戸建の家でひとり暮らしをしている。月日の過ぎゆくのは早いもので、母にとり最愛の夫が旅立ってから14年がたつ。そのときの母の年齢は78歳で、わたしは57歳だった。

 

父は足も背筋もピンとしていて仕事もしていたので、実はわたしたち家族は父がいつ死んでもおかしくない年齢であることをすっかり忘れていた。

 

親の死を真剣に考えることもなく、わたしは都心のマンションで悠々自適なシングルライフを満喫していたところ、13年前のある夕方、父が倒れたと母から連絡を受けた。救急搬送された病院に着いたときには、すでに息を引き取っていた。

 

健康管理を怠らなかった父は、検査で動脈瘤があるのはわかっていたが、手術をしないと決めていたこともあり、また、動脈瘤は痛くもかゆくもないらしいので本人もわたしたちも、父が爆弾をかかえていることをすっかり忘れていたのだった。その動脈瘤が破裂したのだ。85歳、本人もびっくりするほどの一瞬の出来事だった。

 

当時は、わたしもまだ若く、父親を失ったことがとてもショックだったが、日がたち冷静になるにつれ、「父は、なんと理想的な死に方をしたのだろうか」と、悲しむというよりは羨ましい気持ちに変わっていった。死の恐怖を感じることなく、一瞬であの世にいけるほど、素晴らしいことはないと思うからだ。

 

これがピンピンころりか

 

ピンピンころりとはこのことか。大往生とはこのことか。父はとても穏やかで静かな湖のような人だった。人は生きたように死ぬと言われているが、まさに、その言葉通りの死だった。

 

人により差はあるが、85歳は、本来の自分を維持できる、ぎりぎりの年齢ではないだろうか。頭も姿もその人自身を保てる年齢。それが85歳というのがわたしの考え方だ。

 

50代のときには気づかなかったが、70代になり、自分の老いを自分の顔や体に見るとき、85歳で父のように死ぬことを願わずにいられない。

 

もし動脈瘤でなかったら、父は今年で99歳か。その年でもきっとリンとした姿を見せてくれていたのだろうか。90代で元気な人がどれほどいるだろうか。それは、『長生き地獄』(SB新書)を書いたわたしが一番よく知っていることだ。残念だが、多くの90代の方は自宅介護を受けているか、運の悪い人は、施設で胃ろうを施され、ただ生きているだけの人になっているのが現実だ。

 

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