「家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母親が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。日本の高齢化は進み、高齢者と後期高齢者という家族構成が珍しくなくなってきた。老いと死、そして生きることを考えていきます。本連載は松原惇子著『母の老い方観察記録』(海竜社)を抜粋し、再編集したものです。

友人の告別式で目にした90歳母親の痛々しい姿

こんなに早く家族全員が高齢者になるとは

 

「光陰矢のごとし」とはよく言ったもので、還暦をすぎてからの年月の速さには、驚きを隠せない。きっと、わたしと同じ年代の方はみんな、そう感じていることにちがいない。

 

元首相の小渕恵三さんが「新しい元号は平成です」と、飴色の眼鏡で発表してから、30年。あれからすでに30年が経ったことが、信じられない。

 

同じ時間なのに、子供の時間は遅く感じられ、大人の時間は新幹線並みに速く感じられるという。(※写真はイメージです/PIXTA)
同じ時間なのに、子供の時間は遅く感じられ、大人の時間は新幹線並みに速く感じられるという。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

この30年の間にわたしは何をやっていたのだろうか、と振り返ると、恐ろしくなる。

 

その年に生まれた子は30歳か。わたしはあまり変わっていないが、30歳といえば結婚して子供もいる年齢だ。そういえば、わたしの編集担当者も平成生まれだ。

 

同じ時間を生きているのに、子供の時間は遅く感じられ、大人の時間は新幹線並みに速く感じられる。そして、シニアの時間は、もっと速くジェット機並みにすぎてゆく。

 

平成の30年間を生き続けてくれば、当然、40代だったわたしが70代になっても何の不思議もないのだが、わたしは若さに未練があるのか、年齢を素直に受け入れるまでには至っていない。なぜなら見た目は、そんなに老けて見えないし、と全身鏡の前に立つときは自信たっぷりだが、化粧鏡で顔を見るにつけ、それが幻想であることを突きつけられ落ち込む。

 

加速する老化スピード

 

ブレーキとアクセルの踏み間違えによる高齢者の事故をニュースで見るたびに、「あのおじさん、認知症が始まっているんじゃないの」と他人に対して厳しいのに、「あれ、今年、わたしはいくつになったっけ」と、自分の年齢がわからなくなり苦笑する。

 

最近は、過去の記憶に関して、去年だったか、3年前だったか、はっきりしないことが多くなった。この間も、2年前に行ったオランダ視察旅行がいつだったかで、若いスタッフとの間で記憶の食い違いがあったばかりだ。

 

「去年の春だったわよ」と主張するわたしに対しスタッフは、日付入り写真を引っ張り出しながら「いいえ、2年前ですよ」と証拠を見せつけた。その誇らしい顔が刑事のようでおかしくなった。

 

確かにアムステルダムでの写真の中のわたしは若い。2年前か…しかし、記憶間違いのことより、たった2年で急速に老けてしまった自分に、動揺した。

 

外に目を転じると、周りの景色もだいぶ変わった。自分が還暦のころは、友達も一緒に還暦になり、気持ちも体力もまだエネルギーに満ちていたが、年月とともに、大きな病気をする人が出てくるようになり、がんで友人を失う出来事にも見まわれるようになった。友人の告別式で目にした、90歳の母親の痛々しい姿を、今でも忘れることができない。あたり前のことだが自分が年をとるということは、同じ分だけ母親も年をとっていたということである。

 

次ページ実際に100歳で楽しく生きている人もいるが…
母の老い方観察記録

母の老い方観察記録

松原 惇子

海竜社

『女が家を買うとき』(文藝春秋)で世に出た著者が、「家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。 おしゃれ大好き、お出かけ大好…

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