Appleのスティーブ・ジョブズが、文字のアートであるカリグラフィーをプロダクトに活かしていたことは有名だ。マーク・ザッカーバーグがCEOをつとめるFacebook本社オフィスはウォールアートで埋め尽くされている。こうしたシリコンバレーのイノベーターたちがアートをたしなんでいたことから、アートとビジネスの関係性はますます注目されているが、実際、アートとビジネスは、深いところで響き合っているという。ビジネスマンは現代アートとどう向き合っていけばいいのかを明らかにする。本連載は練馬区美術館の館長・秋元雄史著『アート思考』(プレジデント社)の一部を抜粋し、編集したものです。

日本のことを伝えることができないもどかしさ

言葉と感覚からなる美術

 

せっかく海外に滞在していても、「日本人会」や「日本人コミュニティ」に所属して、日本にいたころと同じように、日本人同士のしがらみに消耗している人もいるといいます。異文化を体験できるのにもったいない状態で、それよりはその国の人と交流して、日本人とは異なる価値観に触れるべきです。

 

日本のサッカー界を牽引した中田英寿は、芸術文化の効用をよく知っています。

 

山梨県甲府市の出身で国際的なステージにいち早く出ていったサッカー選手ですが、今では工芸や日本酒といった日本文化を世界に紹介するプロデューサーであり、文化アンバサダーとして活躍されています。

 

中田とは、現代アートや工芸を通じて個人的に知り合いました。

 

中田英寿は日本をまわり、人間国宝や名杜氏に直接会い、話を聞いたり、実際に制作を体験したりして、知識を広げていったという。(※写真はイメージです/PIXTA)
中田英寿は日本をまわり、人間国宝や名杜氏に直接会い、話を聞いたり、実際に制作を体験したりして、知識を広げていったという。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

あるときに「芸術文化に興味を持った理由」について聞いたことがあります。

 

中田はこんなふうに答えました。

 

「世界で活躍しているうちに様々な国のセレブリティ(セレブ)に会い、芸術文化がコミュニケーションツールになることがわかったと同時に日本のことを伝えることができない自分がもどかしくなった。何も知らないということを知ったのです。そこで世界中を旅するのと同時に日本中を旅して、日本の伝統工芸や日本酒が消えかけている現状を知ったのです」

 

何年かかけて中田は日本をくまなく巡り、人間国宝や名杜氏といわれる人に直接会い、話を聞いたり、実際に制作を体験したりして、知識を広げていきました。その数は大変なものになります。

 

中田が素晴らしいのは世界中を「徹底的に、くまなく」回り、自分の足で訪れ、実際に「経験」していることです。これらは単なる知識ではなく、自分の経験を通し、会得した知識なのです。そしてもっとも大事なのは、そのときに得た〝実感〟なのだろうと思います。

 

こればかりは他人の話を聞くだけで得られるものではありません。中田とは、日本全国の名産地を何度か訪れたことがありますが、話を聞いた後に必ずといっていいほど、自身で作品を制作したり、体験していました。焼き物であれば、土を練ったり、金属加工であればハンマーで鉄を叩いて伸ばしたりしていたのです。ときには1日どっぷりとそこにいて、何時間も制作しているのです。

 

中田に「なぜ体験するのか」と聞くと「そこではじめてわかることがあるから」と答えました。シンプルな返事ですが、とても重要な内容を含んでいると思います。中田は言葉だけでは得られないものが存在することを知っているのです。

 

言葉以外の感覚も総動員して理解を深めていくということは、どんなに便利な世の中になっても必要なことです。また便利になればなるほど、5感を通すことが必要になります。精神論で汗を流せと言っているわけではありません。人間は言葉以外の多くのものを通じて、様々な情報を得ているからです。その最たるものが芸術や工芸というものでしょうし、言葉と感覚からなる美術が現代アートであるのです。

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アート思考

アート思考

秋元 雄史

プレジデント社

世界の美術界においては、現代アートこそがメインストリームとなっている。グローバルに活躍するビジネスエリートに欠かせない教養と考えられている。 現代アートが提起する問題や描く世界観が、ビジネスエリートに求められ…

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