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今や、病院さえ「つぶれてもおかしくない」時代
「病院がつぶれるなんて考えられない」。一昔前までは常識だったこの考えは、現在では、まったく通用しなくなっています。しかし残念ながら、いまだに古い意識をおもちの理事長も少なくありません。
特に、代々親族内で病院を継いできたご家庭の理事長は、よほどのことがない限り病院がつぶれることはない時代に病院経営をしていた先代、先々代を間近で見て育っているため、自院の経営悪化をリアルに認識することが難しい面があるようです。そのため、対応が遅れて、本当に“崖っぷち”まで追い詰められてしまうこともあります。本事例もまさにそういうケースでした。
私たちのところに相談にいらっしゃる方は、病院の理事長が大半ですが、それ以外のケースもあります。一つは事業承継を心配なさった理事長のご家族がいらっしゃる場合、もう一つが、事務長など病院の経営実態を把握しているスタッフが、経営の先行きを心配していらっしゃる場合です。
X病院の事例でも、最初にご相談にいらしたのは事務長の田中氏(仮名)でした。そして、田中事務長のご相談内容はかなり深刻なものだったのです。
「次期の給与が支払えない」廃院寸前だが、理事長は…
X病院は山陰地方の某都市で昭和初期に創立され、初代理事長の親族によって代々受け継がれてきた老舗病院です。田中事務長が相談にいらしたときの佐々木理事長(仮名)は、4代目でした。
このような代々続いてきた病院の理事長には、医師として地元への貢献意識が非常に高いという美徳をもつ反面、病院が続くことが当たり前だと考えていて、経営者として病院経営の質を高めていくことへの関心が低いというケースがよく見られます。佐々木理事長も、まさにそのタイプでした。
病院の経営管理は事務長はじめほかのスタッフに任せきりで、自分は医師としてしっかり医療行為をしていればいいという感覚だったのです。
ところが、やはり古い体質で新しい時代の医療環境に追いつこうとしていないということで、患者の数が右肩下がりになっており、収支が悪化。X病院はケアミックス病院でしたが、一般病棟の看護師と医療療養病棟の看護師の間での不公平感が根強く、看護師のモチベーションがかなり下がった状態だったことも経営悪化に拍車をかけていました。
ここ数年は赤字続きで、直近決算では約5億円の売上に対して3000万円もの赤字を計上していました。銀行からの借入も一部リスケジューリングをしており、新規の借入は難しくなっています。そしてついに、現金が底をつき始めて、従業員への給与支払いはなんとかなっても、新たに資金調達をしない限り、次期(6ヵ月後)の賞与が支払えなくなる見通しとなってしまったのです。
医療従事者の採用難が続いているこの時代に、規定どおりの賞与が支払えないとなれば大量退職は免れません。そうなれば、病院を存続させることは極めて困難になります。
当然ながら、強い危機感をもった事務長は、理事長に病院の窮状を訴え対応を求めました。しかし理事長は「うまくやってくれ」と言うばかりで、資金調達や経営改革に動く気配もありません。
理事長はもちろん遊んでいたわけではなく、医師としての医療行為はしっかりと行っていました。そのため、「自分が真面目に働いているのに、病院がつぶれるはずがない」と信じており、経営の現状をまったく理解できなかったのです。「資金繰りに窮しているとすれば、それは事務長がうまく管理をしていないからだ」と考えていたようです。
困り果てた事務長は、「とにかく理事長に病院の現状を理解してもらいたい」との思いで、第三者である私たちに、客観的な立場から理事長に説明をしてもらえないかとおっしゃったのです。
経営状況を把握しておらず、M&Aにも懐疑的
私たちはすぐに佐々木理事長とお会いしましたが、事務長の話のとおり、まったく現状を理解していません。「M&A? 自分や親族が役員報酬を毎月もらっているのに、なんで譲らないといけないの?」という具合です。そもそもご自分が病院を「経営している」という意識もあまりおもちではないようです。
次に、ステークホルダー、つまり出資者や理事となっている親族の方たちにもお会いしましたが、やはりどなたも病院の状況はまったく理解していません。「このままでは病院の存続は困難になります」と説明しても、じゃあ私たちがもらっている報酬はどうなるの?というところばかりを気にして、病院の立て直しについてはだれも考えないのです。これまで考えたこともない病院経営の実態をいきなり突きつけられても、確かにどうしようもないでしょう。
その一方で、このままなにも対策を講じなければ6ヵ月後の賞与は支払えないので、まず間違いなく病院の経営は続けられなくなります。
私たちは、親族の方たちに集まってもらって経営会議兼親族会議のような会議を、2ヵ月ほどの間で10回近く開いて、懇々と状況を説明し、病院を続けるにはM&Aがベストな選択肢である旨をご説明しました。
そこでのとりあえずの結論として、M&Aといっても、どんな譲受先なのか分からないのでは判断できないので、まず譲受先を連れてきてほしいといわれたのです。
「譲受先探し」を困難にする条件が盛りだくさん
きちんと利益を出している黒字経営の病院であれば、確度の高い譲受先候補を短期間でリストアップすることはさほど難しくありません。
しかし、X病院の場合は、毎年赤字が続いており多額の借入もあります。譲受側は当然その債務も引き継がなければなりません。足元では、6ヵ月後の賞与支給の資金も足りないような状況です。また、病院内ではスタッフのマネジメントもうまくいっておらず、現場のモチベーションは低い状態です。
はっきりいえば、倒産寸前の病院を経営再建して立て直すための救済M&Aというのが実態です。
しかしそれにもかかわらず、理事長や親族の方たちは、M&Aに対して懐疑的なのです。理事長に至っては、仮にM&Aをするにしても、自分がX病院の理事長・医師を続けることは絶対に譲れないと主張していました。
もっともこの点は、4代、約100年にわたって家業として病院を続けてきた歴史に鑑みれば、それを手放すことは内心忸怩たるものがあるだろうと、心情的には理解はできます。また、理事長は地域医療への貢献という医師としての信念があり、そのためには第三者に医療を任せるわけにはいかないとの思いから、自分が医療を続けられることを要望していました。決して単なる自分の利益だけからの発想というわけではありません。
しかし、いずれにしても以下のような点にあてはまる譲受先を探さなければなりません。
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①不協和音の生じている病院現場をとりまとめられる、高い人材マネジメント能力があること
②金融機関の債務を引き継ぎ、かつ、数ヵ月後に迫った従業員賞与の資金を調達できる財務的な基盤があること
③M&Aの必要性や、自身が引き継ぐことによる病院にとってのメリットをしっかり譲渡側にプレゼンテーションできること
これは、理事長、その親族がM&Aの必要性にまだ懐疑的であるため、私たちだけではなく譲受側の立場としても説得をしてもらう必要があるためです。
④親族で100年続けてきた病院を手放さなければならない譲渡側に、心理的なわだかまりが生じることを十分に理解し、配慮できること
⑤佐々木理事長が理事長、医師として勤務し続けることを認め、積極的にそのサポートをできること
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なかなか厳しい条件ですが、それでも20社ほどの候補をリストアップして、それぞれに事情を説明しながら検討をお願いしたところ、唯一、医療関連用品の製造販売をしているA社だけが手を挙げてくれて、具体的な交渉に入ることになりました。
まだ現状把握していない理事長、交渉の場で…
実質的には救済型のM&Aなので、本来であれば譲渡側はあまり強く条件をいえる立場ではありません。しかし、この段階でも佐々木理事長や親族の方は状況をよく理解していなかったため、さまざまな要望や条件を提示してきました。
交渉のテーマとなったのは以下のような点でした。
①理事長の地位、立場の継続について
⇒佐々木理事長は、M&A後も理事長、および医師として勤務することを希望し、A社はそれを了承しました。ただし現状の運営を変えなければ早晩経営が行き詰まることは確実なので、A社が派遣する補佐役をつけ、病院運営は補佐役の助言に従って行ってもらうことを条件としました。
②理事長の処遇について
⇒具体的には、給与、退職金などについてです。給与や退職金については、経営からは外れるのだから、その分は減額せざるを得ないという点をA社は主張しました。
③親族の理事や社員への対価について
⇒これについては、その人たちが従前から実質的には経営へ寄与をしていないため、対価は支払えないということをA社は説明しました。
本当の“崖っぷち”になってようやく理事長の態度一転
私たち、そしてA社も辛抱強くX病院のおかれた状況をご説明しつつ、交渉に臨んでいましたが、そもそも理事長に積極的な気持ちがないため、なかなか話は進展しませんでした。そうこうするうちに、いよいよ賞与の支給日まで1ヵ月を切り、資金手当が焦眉の課題となります。事務長は理事長に同行してもらい銀行との打ち合わせをしましたが、そこで銀行の担当者から追加融資や追加のリスケジューリングはいっさいできないと、かなり強硬な姿勢で断られます。医療法人の預金通帳の残高はわずかで、まさに崖っぷちに追い込まれてしまいました。
その状況になってようやく、理事長はことの深刻さを理解したようでした。これまでの態度から一転して、急遽M&Aを進めるように事務長に指示を出したのです。
また、親族の方たちも、医療法人倒産の可能性が現実化してくると「自分たちもなにか経営責任を取らされるのではないか」と心配をするようになり、態度を軟化させていきました。
理事長の指示後は、A社も全面的に協力して急遽M&A契約が成立しました。
譲渡スキームは出資持分譲渡で、M&A成立後に社員は交代しましたが、理事長は理事長兼医師として勤務を続けています。
A社からはマネジメントの専門家である看護師長を派遣、人材管理体制を整え、地域連携の強化などにも取り組んでいます。また、銀行へは経営再建計画を提出し、協力を取り付けました。
理事長はそれまで、代々続いてきた病院を守ることが自分の使命だと考えていました。しかし、それを自分「だけ」でやらなければならないという必然性はありません。今後は、田中事務長、A社、銀行など、多くの人と手を取り合いながら、理事長が理想とする地域医療の実現に近づけるでしょう。100年続いたX病院は、着実に再建の道へと進み始めたのです。
アドバイザーから見た事例のポイント
【①周りから支えてもらえた譲渡側の人柄】
読者のなかには、佐々木理事長に対してネガティブなイメージをもった方もいるかもしれません。確かに佐々木理事長は、経営能力の点では問題があったといわざるを得ません。しかし、医療を通じて地域に貢献したいという医師としての使命感や人柄など、尊敬すべき点が大いにあったことも確かなのです。またステークホルダーとなっている多くの親族からさまざまに注文を付けられて、板挟みになっているという気の毒な面もありました。
理事長が当初M&Aに反対していたのも、自分の理想とする医療ができなくなるのではないかと考えたことと、病院の状況を正しく把握できなかったことが原因であり、決して「自分の儲けだけを確保したい」といった利己主義から生じたものではありません。そのような人柄だからこそ、田中事務長も心から病院と理事長の将来を案じて、骨身を惜しまず力になろうとしたのでしょう。
一方、譲受側のA社も佐々木理事長の人柄をよく理解して、ある意味で広い心でそれを受け入れていただけました。この両者の人柄が、成功につながった大きなポイントでした。
【②病院の現状を客観的に把握している人物が存在していたこと】
今回の事例の成功は、田中事務長の存在を抜きにしては語れません。特に事務長が私たちのところに相談に来る前から、X病院の業績、財務や人事などの問題点をしっかり分析、把握していた点は、その後譲受先を探し、マッチングをしていくときに、大いに役立ちました。理事長が自院の状況を客観的に見られないというのは、よくあることです。そのときに、少し引いた立場からそれを把握できる人物が経営層、マネジメント層に存在しているかどうかは、M&Aの成否を左右します。
【③問題点が明確であり、改善余地があったこと】
問題点が分かっていれば、改善すべき点や改善策も明確になります。ひいては、改善の余地があるのか、ないのかも明確になります。問題があったとしても改善の余地があるのなら、それはむしろ変化の可能性を示すポジティブな要因ととらえられます。
余語 光
名南M&A株式会社 事業戦略本部 医療支援部 部長
認定登録医業経営コンサルタント登録番号7795号/医療経営士
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