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理事長の経営意欲が失われた場合は、経営者交代も検討
大きな環境変化に見舞われ将来が不透明な現代の医療業界で、病院経営者として組織を指揮していくためには、高い経営意欲が必要です。
もし理事長の経営意欲が失われてしまったのなら、そのまま経営を続けるよりも適切な相手に病院経営を譲り渡すほうが、経営者ご本人やご家族、病院スタッフや患者さんなど、すべての関係者にとって幸せな結果をもたらすことが少なくありません。
また、役割や立場を変えることによって、理事長ご本人の気持ちにも変化が生じ、新たな姿勢で仕事に取り組めるようになることもあり得ます。
経営に苦手意識を持つ新理事長…経営状態は悪化の一途
X医療法人が経営しているX病院は、中部地方の都市部にある40床の小さな整形外科病院です。先代の山下理事長(仮名)は、スポーツ整形外科医として高い技術をもち、遠方からも患者が訪れ、病院経営者としても成功といっていい状態を維持していました。先代理事長は、さらに事業を拡大しようと、X医療法人において入居者100人ほどの老健の事業を新たに開始しました。
ところが、そのオープンからわずか1ヵ月後に、過労がたたったのか、先代理事長はくも膜下出血で倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまいました。それが、10年ほど前のことです。
先代の山下理事長には、長男の史郎氏(仮名)と長女の康子氏(仮名)がいました。山下史郎氏は、関西地方の別の病院で勤務医として働いていましたが、父の死後に地元に戻ってX医療法人の理事長に就きました。一方、長女の康子氏は医師の資格はもっておらず、先代が存命していた時代からX病院で経理の仕事をしています。
先代の息子である山下史郎氏が理事長になってから、X病院の業績は徐々に悪化していきました。X病院の強みは先代の高い医療技術でしたが、それが失われたことも一因です。また、山下理事長は、開設されて間もない老健の経営にはまったく関心を示さず、完全に現場任せで、なんらの方針も示せませんでした。
最初のうちは2人の勤務医や妹の康子氏がサポートして、なんとか新理事長に病院と老健の経営の舵取りをしてもらおうと努力していました。しかし、山下理事長は、医師としての診療意欲は高かったものの、どちらかといえば対人関係が苦手で、リーダーシップとはほど遠い性格でした。自分でも経営への苦手意識があったようで、積極的に経営に関与しようとする意欲がもてないでいました。そのため、周囲の人たちの尽力にもかかわらず経営悪化に歯止めがかからなかったのです。
経理担当として財務諸表を見ていた康子氏はどうにかならないかと思案し、理事交代から5年目、維持コストがかかる病床を返上して病床をもたない診療所に再編してはどうかと提案しました。山下理事長はそれを受け入れ、勤務医には辞めてもらい、自分だけが診察をする診療所として医療業務を大幅に縮小したのです。
一方、老健のほうは、オープン当初から担当している現場の施設長が有能な人物だったため、ほぼ施設長に経営を丸投げして、赤字にはならない程度に経営は回っていましたが、高い利益を出せるほどではありませんでした。
そんな状況が3年ほど続いていたあるとき、康子氏が体調を崩し、仕事を辞めなければならないこととなりました。康子氏は、自分がいなくなったあとのX医療法人と山下理事長の先行きを心配して、私たちのところに相談に見えたのです。
「地域のために、老健だけは残したい」理事長の意向
康子氏から話をうかがった私たちは、山下理事長とも話し合いを重ねました。山下理事長は、「自分は経営者には向かないと分かっているが、医療法人は父が遺してくれたものであり、妹の支えもあったので、なんとか続けてきた。しかし、妹が仕事を続けられないのであれば、もう法人は手放してもいい」とおっしゃいます。ただし、老健は地域に受け入れられて入居者にも喜ばれている施設だから、できればそのまま残したいということでした。
そこで私たちは、診療所は廃止することとし、X老健を残した医療法人をM&Aで譲渡するスキームを提案、山下理事長と康子氏の同意を得ました。
X老健は、都市部の中心に近い良い場所にあり、黒字経営を続けていることから、医療機関や事業会社など、何先もの譲受先候補が集まりました。
そのなかから、ここ数年、中部エリアを中心に介護事業で高い成長を遂げている株式会社A社との交渉を進めることにしました。
A社は自社で培ってきた介護事業のノウハウを老健にも流用することで、その事業価値を高められること、また、将来的に川上の医療事業に進出することによってグループ全体でのシナジーを生めることなどを強調しました。
山下理事長、譲受後も理事長職を降りられなかったが…
A社は、それまでは介護事業に特化しており、医療法人を譲り受けるのは初めてであるため、現状では医師を雇用できるネットワークがありません。そのため、譲受後の医療法人の理事長として、当面山下理事長がそのまま残留することが求められました。
山下理事長は、経営者として医療法人にかかわるつもりはなかったため、当初この条件に難色を示しましたが、経営実務はA社の人間が盤石な支援体制を約束するという確約が得られたため、この条件を受け入れました。
以前は、診療の経営が芳しくなかったため、山下理事長の役員報酬はほとんどないような状況でしたが、A社からは理事長に対して相応の報酬が支払われることになるので、悪い条件ではありません。X医療法人としての利益は少なかったものの、都市部にある老健の不動産などがあっため時価純資産には一定の厚みがあり、山下理事長や康子氏にとって満足できる譲渡価額で交渉がまとまりました。
「名ばかり理事長」から一転して業務意欲アップ
X老健は、M&A前の想定どおり、A社の介護ノウハウを採り入れることにより、業績が向上しました。利用者からも好評を得ています。そして、1年後、A社はさらに別の医療法人から老健を譲り受けて事業を拡大し、さらにそれから1年後には、近隣のクリニックを譲り受け訪問診療事業も行うなど、医療分野への進出も果たしました。その際に、大いに力になったのが山下理事長でした。
当初、山下理事長は「名前だけ」のような位置付けで医療法人の理事長職に就いていましたが、A社から医療法人に派遣されてきた経営知識が豊富で意欲も高い役員たちと交流を重ねたことなどから、以前とは別人のように業務意欲が向上し、自らのネットワークを使って若い医師を探してリクルーティングをするなど、訪問診療事業開始の際には、大きな力を発揮しました。
アドバイザーから見た事例のポイント
山下理事長が医療法人格の所有や診療所の存続にはこだわらず、地域ニーズの高い老健事業を残そうと決断したことがポイントとなりました。
立地や事業内容など、高い業績を上げるポテンシャルをもちながら、理事長の経営意欲減退によって業績が低迷している医療機関は、意外とたくさんあります。そういうとき、理事長が医療法人のオーナーという立場を離れてみることによって、医療機関にとっても、理事長自身にとっても良い結果がもたらされることがあります。
余語 光
名南M&A株式会社 事業戦略本部 医療支援部 部長
認定登録医業経営コンサルタント登録番号7795号/医療経営士
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