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「ファンドへの譲受」が最善の結果をもたらすケースも
病院M&Aの譲受側となるのは、医療法人や事業会社に加えて、近年存在感を増しているファンドの場合もあります。これらの譲受主体にはそれぞれ異なる特徴があるため、譲渡側病院の状況や、譲渡側が想定するM&Aの目的に応じて最適な譲受先とのマッチングを提案することも、M&Aアドバイザーの重要な役割です。
本事例は、当初の聞き取りからファンドを提案したことにより、関係者のすべてが満足できるM&Aが実現できたケースです。
また、本事例のもう一つの特徴として、医療法人のステークホルダー(出資者、社員、理事)の数が非常に多く、その数は10名を超えていたことが挙げられます。一般的に、ステークホルダーが多ければ多いほど、利害や要望の関係が複雑になり、M&Aを成立させることは困難になりますが、それを解決できたのも、ファンドを使ったスキームだからこそという面がありました。
ファンドによるM&Aというと、ネガティブな印象をもたれる理事長もいらっしゃるかもしれませんが、M&Aの目的に合致していれば、医療法人や事業会社が譲り受けるよりも良い結果となる場合があることを、本事例を通じて理解してください。
亡き父の病院を継いで10年…リタイアを望む理事長
「自分は経営者向きではない」…理事長を苛む様々なストレス
X医療法人は、関西の大都市部で、約60床の急性期病棟をもつX病院と健診センターを運営していました。X病院は規模こそさほど大きくはありませんが、内科、特に消化器系の診療では古くから定評があり、近隣エリア内で確固とした地位を築いています。売上は直近で30億円、利益は約2億円と、経営状態も優良でした。
同院の矢部理事長(仮名)は、先代理事長の息子です。以前は関東地方の大学病院で勤務医をしていましたが、10年ほど前に先代理事長が亡くなったあと、一人息子であったことから地元に戻り、跡継ぎとして理事長に就任したのです。
しかし、もともと大学に残って研究を続けていた学究肌の矢部氏にとって、理事長としての病院経営の仕事は肌に合わない部分も多くありました。これまでのX病院の経営業績は好調ですが、医療業界は変化に見舞われており、ここから将来はどうなるか分かりません。周りにサポートされながら理事長を続けているものの、あまり経営に向いているとは思えない自分が、この先もずっと理事長として経営責任を負わなければならないかと思うと、矢部理事長は大きなストレスを感じるようになってきました。
矢部理事長が「自分は経営の仕事に向かない」と言いつつ、X病院の業績が好調を続けていたのは、優秀なスタッフに恵まれていたためです。
まず、院長は、先代理事長の時代から勤めている別の医師が担っています。院長だけではなく、事務部長、看護師長など、経営管理の中枢メンバーはいずれも先代理事長時代から勤務しているベテランで、全員が矢部氏よりも年長でした。なかでも事務部長は勤続40年近くで、矢部氏が小学生の頃から勤務している、X病院の生き字引のような存在です。
そういう古参メンバーたちが病院の経営や現場管理の中核をしっかり担っていたので、矢部氏がさほど高い経営能力を発揮せずとも、順調に経営が回っているという面がありました。しかしそのことは、矢部氏が理事長でありながら、いつまで経っても周りに頭が上がらず、気を使わなければならないということも意味していました。その状況も、矢部氏にとってストレスだと感じられるようになっていました。
「子どもには、自分のような苦労をさせたくない」…相続問題への懸念も
もう一つ、矢部理事長が懸念を感じていたのは相続問題です。矢部氏は父である先代理事長から医療法人の持分の9割に当たる部分を相続しました。医療法人は当時から業績が好調で純資産が多く、また先代の個人資産もあったため、相続税は莫大な金額になりました。
矢部氏が自分は理事長に向かないと感じつつ、それでも10年は続けてきたのは、せっかく多額の相続税を払って承継したのだから、という気持ちもあったのです。しかし、次に自分の相続のときには、子どもたちに同じような苦労をさせたくない、という気持ちが強くなってきました。
そういったもろもろの事情から、矢部理事長は早期のリタイアを考えるようになり、私たちに相談をいただくことになったのです。
ステークホルダーが14名もいた…M&A成立は至難の業
矢部理事長は相応の対価を得ての早期リタイアを望んでいました。そのためには、M&Aでの譲渡が定石ですが、そこに大きなハードルがありました。
それは利害関係者、いわゆるステークホルダーが非常に多かったことです。矢部理事長はX医療法人の出資持分の9割を所有していましたが、残りの1割を、なんと14人もの人たちが分け合って所有していたのです。
しかも、そのうち矢部氏の親族は4人だけで、残りの10人は、院長、事務部長などの病院スタッフです。これは、先代理事長が、主要スタッフの病院経営への参加意識と、モチベーション向上を図って、出資持分の一部を譲渡していたためです。実際、X病院の主要スタッフの経営参加意識やモチベーションは高かったので、先代の意図どおりの成果は表れていたといえます。
しかし、まさにそれゆえにこそ、M&Aで他者に経営権を譲渡することに対して大きな反発が生じるであろうことは容易に予想されました。通常、M&Aにおいて医療法人の持分は、100%譲渡が大原則です。1%でも譲渡不可能な部分があるとのちのちのトラブル要因になるため、譲受側は非常に嫌がります。
そのため、14人の出資者の全員にM&Aについて納得してもらい、出資持分を譲渡してもらう必要があります。
影響力の大きい出資者3名がM&Aに猛反対
私たちはまず4人の親族出資者と話をしましたが、こちらは比較的すんなりと納得してもらえました。
問題は非親族の病院スタッフです。私たちは10人のスタッフのうち、特に影響力の大きい院長と事務部長、看護師長の3人の説得に当たりました。その3人が納得すればその部下などほかのメンバーはそれに従うと思われたためです。
予想どおり、主要メンバーの3人はM&Aに大反対でした。その主張は以下の3点です。
①現状で病院経営は順調に回っているのに、なぜ経営者を代えなければならないのか。その必要はない
②長い歴史をもち、地域の医療業界でも一定の地位にある当院が、ほかの病院や事業会社の傘下に入るなどプライドが許さないし、実際上のメリットもない
③現在、自分たちがある程度決定権をもって病院運営に深く関与していることを含め、待遇や処遇の不利益変更は認められない
いずれも、客観的に見て首肯できる部分のある主張です。
もともと、本件は矢部理事長の「もう辞めたい」という個人的な思いから発した案件です。そのため、矢部理事長とほかのスタッフとの利害が一致しないのは当然といえば当然なのです。かといって、すでに過大なストレスを抱えていると訴えている理事長に、まだ続けなさいということも酷な話です。
そこで、私たちから提案したのは、投資ファンドのA社に入ってもらうことで両者の橋渡しをしつつ、本質的な事業承継の決定を繰り延べるというスキームでした。
理事長・主要スタッフ・譲受側…三者間で利害を調整
主要スタッフの説得
今回の事例では、矢部理事長と主要スタッフ(院長をはじめとした出資持分をもつスタッフ)、そして譲受側のファンドという三者の利害を調整する交渉になりました。
まず、主要スタッフを説得しなければ、M&Aは成立しません。主要スタッフの要求や懸念点は先述のとおりです。
①については、オーナーの交代を受け入れてもらうことの対価のような意味も含めて、主要メンバーがもつ出資持分について、出資額に適正なプレミアムを上乗せした金額で矢部理事長個人が譲り受けることで、合意を得ました。
②については、ほかの医療機関への譲渡と異なり、今回はファンドが実績十分の病院に出資するために、実質的な病院経営は病院側(院長をはじめとした幹部)に任せる、経営と所有の分離を約束してもらう旨を説明しました。さらに、A社は、これまでに多くの病院の事業承継を支援しているファンドであるため、X病院で課題となっていた不足しがちな医師の確保などにも力を発揮してもらえるメリットがある点を説明して、納得を得ました。
③については、社員総会はファンドのメンバーで構成するが、理事会にはファンドメンバーを入れず、現在の院長はじめ主要スタッフが理事となって理事会を構成し、理事長もそのなかから自由に選んでもらってよいとしました。経営の執行機関は理事会であるため、実質的には現状と変わらない病院運営や処遇が可能となることを説明しました。
譲受側・A社との交渉
もう一つの交渉ポイントは、ファンドとのM&Aの成立後、3年間はこの体制で運営をして、3年後にもう一度経営体制を見直すという点です。ファンドが入る期間はとりあえず3年間としておき、3年後に以下のようなイグジット(出口)スキームを考えます。
①理事たちがA社から出資持分のすべてを再び譲り受けて、医療法人オーナーになるMBO(マネジメントバイアウト:経営陣による持分取得)を行う。もしM&A後の体制での運営が問題なく進み、3年後に金融機関からの融資など資金の目処が立てば、MBOで名実ともに主要スタッフがオーナーになれます
②理事たちとA社とが協力しながら、新たに別の譲受先を探す
③A社がそのまま出資持分の保有を続ける
3年後のイグジット時点で①〜③の方法を想定するということは、いわば病院承継を3年繰り延べたというとらえ方もできます。
以上の交渉、説明により、病院経営の承継や現在のスタッフの処遇維持といった点での懸念が解決したあと、さらに譲渡価額、すなわち矢部理事長の得られる対価を巡る交渉がありました。
ファンドであるA社は事業保有が目的ではないので、3年間という比較的短い期間で一定の利益を得られる確証がなければ出資できません。また老朽化した設備の更新費用なども必要で、そのためには、譲渡価額をある程度抑える必要があるというのがA社の主張です。
一方、新体制の理事院長たちからは、貸借対照表の純資産にある程度の厚みを、つまり資金的余裕を残しておいてもらわないと、今後の経営上不測の事態が生じた場合に心配だという声が上がりました。
もし3年後のイグジット時点でのMBOを検討するとなれば、その際までに借入はなるべく少なくしておいたほうがよいだろうという思惑もあります。
結局、矢部理事長の対価は、X医療法人の貸借対照表における時価評価内で合意が得られました。
M&A成立まで約1年半…譲渡した結果、どうなったか?
最初に矢部理事長から相談をいただいてから、約1年半ほどで、M&A契約が成立し、社員、理事の交代が行われました。やはりステークホルダーが多いということで、交渉過程は時間がかかりました。
新理事長は、院長が兼任する形となり、そのほかの理事はほぼM&A前のメンバーが踏襲しました。ただ、高齢だった事務部長は退任され、事務部門も事業承継することとなりました。
新体制になったことを機に、より効率的な経営を目指すべく、新たな医師を迎え入れ、さらなる業績向上と地域への貢献を目指しながら、運営が続けられています。
A社は基本的に経営モニタリングだけに徹しています。もちろん、業績が非常に悪化したりすれば、結果を求めるための介入があるかもしれませんが、今のところその心配は皆無です。
アドバイザーから見た事例のポイント
M&Aを実行すれば、病院の所有権も経営権も、すべて譲受側に渡ってしまい、譲渡側にはいっさいコントロールがきかなくなると勘違いなさっている病院オーナーは少なくありません。しかし、ファンドを活用すれば、本事例のように所有権と経営権をある程度切り離して、前者は譲受側に移転させつつ後者は従前どおりに残すというスキームも十分に可能です。
通常、医療機関や事業会社が譲受側となるケースでは、経営権を取得して永続的に病院を経営することが目的になる場合が中心です。
一方、ファンドが譲受側となるケースでは、経営自体は目的ではなく、一定期間(通常3〜5年)だけ所有して、そこから得られる利益が目的となります。これは見方を変えると、その出口の時期まで、本質的な事業承継を繰り延べができるということです。
そのため、本事例のように、現オーナーがすぐにでも辞めたいと考えている一方で、病院スタッフが、急に経営の現状を変えられては困ると主張するようなケースでは、一種の時間稼ぎの方法として、ファンドの活用は大いに有効です。
ただし、ファンドは医療事業の専業ではないので、信頼して経営を任せられる人物が病院側に残っている(または連れてこられる)ことが前提になります。
本事例の場合、主要スタッフに経営実績があったためファンドとしても安心して経営実務を任せることができ、また、ファンドから任されることが分かったからこそ、主要スタッフもM&Aに応じて出資持分を手放すという好循環を作れたことが、成功の要でした。
あわせて、矢部理事長が、主要スタッフを信頼して自分の退任後の病院経営を任せたこと、さらに、その承継を優先度の高い目的と考え、譲渡価額の面では一定の譲歩をしたことなども良い結果につながるポイントでした。
余語 光
名南M&A株式会社 事業戦略本部 医療支援部 部長
認定登録医業経営コンサルタント登録番号7795号/医療経営士
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