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突然、院長が経営意欲を失ってしまうケースも
経営者としての責務をしっかりと果たしてきた理事長であっても、大きな衝撃や失意を感じる出来事に見舞われたとき、一時的に経営への意欲が減退してしまうことはあり得ます。時には、その失意から立ち直れず、経営者としての役割を完全に果たせなくなってしまうこともなくはないのです。
もしそんなことになったら、ご自身のみならず多くの人に影響を与えてしまいます。今は好調に経営を続けている方でも、いつそんな状態に陥ってしまうかは分かりません。そうなったときの心構えを本事例から学んでいただきたいと思います。
妻を亡くして経営意欲を喪失…病院の先行きは不透明化
X内科病院は、九州の某県の都市部にありました。30床の医療療養病床をもつ小さな内科病院で、地元住民からの評判は悪くありませんでしたが、度重なる診療報酬改定と、経営規模が小さいことによる効率の低さなどから、業績はなんとか赤字にならない程度の状況でした。
65歳になる理事長の村井俊一氏(仮名)は2代目で、約20年前に父親からX医療法人を引き継いでいます。村井理事長には、一人息子の村井彰氏(仮名)がいましたが、彰氏は東京の医大を卒業後、そのまま東京で勤務医となり、3年ほど前に東京で精神科のクリニックを開業しました。
彰氏からクリニックの開業について相談を受けたとき、村井理事長は、「地元に戻ってきて、いずれは自分の病院の後を継いでくれないか」と彰氏に伝えましたが、はっきりと断られました。それは、子どもを東京の私立学校に通わせたいという彰氏の妻の強い要望があったためです。また、彰氏自身も、東京での暮らしになじんでいたことや、診療科が異なるX内科病院を経営することに自信がもてないことなどから、東京で開業することを選んだのでした。
村井理事長は落胆しましたが、強制するわけにもいきません。自分もまだ10年以上は働くつもりだし、孫(彰氏の子)が大学を卒業して自立すれば、そのときには彰氏の気が変わるかもしれないので、しばらく待ってみようと考えたのです。
ところが、1年ほど前、村井理事長の妻の裕江氏(仮名)にガンが発見されました。ステージ4に進行しており、手術はしたものの、担当医からは5年生存率は10%程度と告げられました。村井理事長は病院の運営は勤務医のA氏にほぼ任せて、献身的に妻の介護に当たりました。しかし、懸命の治療のかいなく10ヵ月後に裕江氏は他界してしまいました。それを機に村井理事長は抑うつ症状に陥り、仕事への意欲を失ってしまったのです。病院経営はもちろん、医師としての診療業務もできない状態になってしまいました。
X内科病院は、村井理事長以外の勤務医で運営しています。勤務医の2人はもちろんのこと、A氏も病院経営に関わるつもりはまったくありません。逆に、先行き不安を感じて病院を辞めたいと言いだしたのです。一方、東京でクリニックを開院したばかりの彰氏も、急に九州に戻ることはできません。その状況をどうするべきか、彰氏から私たちに相談があったのです。
廃院か存続か、X病院のタイムリミットはわずか半年間
A医師は遅くても半年後には退職するという意思を固めており、引き留めることは難しそうでした。A医師がいなくなったら、2人の勤務医だけではどうしようもありません。
彰氏は当初、自分がX医療法人の出資持分を譲り受けて理事長に就任し、別の医師を雇用して、当面その人物に病院を任せることを考えました。そして、今中学生の子どもが大学を卒業したら、自分だけでも九州に戻って病院を引き継ぐという案です。ところが、地方の小さな町にあるX病院で働いてくれる医師は急には見つかりません。A医師も、彰氏もそれぞれの医局のつてを使って探してみましたが、医局の人事は年度スケジュールが決まっており、1〜2年後ならともかく、今すぐ働いてくれる医師は見つかりそうにありませんでした。
そこで次に、医療法人そのものを譲渡するM&Aが検討されました。私たちが譲受先を探し、2先候補があったのですが、いずれも理事長が実質的に不在のままでの譲り受けであることや、半年後までに契約、譲渡が必要という部分でタイミングが合わず、合意には至りませんでした。
理事長には資産が残ったが…地域医療にとっては大損失
医師を探してきての継続も、譲渡も難しいということで、最終的には廃院にして医療法人を解散することとなりました。病院が建っていた土地は村井理事長個人の所有であったため、不動産デベロッパーに売却し、建物は取り壊されました。土地は先代理事長(村井氏の父)が若いときに安価で取得したものでしたが、町の中心部でまとまった広さの土地だったため、相応の高額で売却でき、廃院に関わる費用を差し引いても村井理事長にはある程度の資産が残りました。
しかし、地元の病院が一つ失われてしまったことは、住民にとっては大きな損失です。なんらかの形でも医療機関が残せなかったという点では、失敗と考えられる事例でした。
その後、彰氏は父に、東京に来て一緒に暮らしてはどうかと誘いましたが、村井氏は妻との思い出が残る九州の土地で余生を終えたいと述べ、今も一人で暮らしています。
アドバイザーから見た事例のポイント
■息子がX病院を継がないと決まったときこそ「分岐点」
本事例では、理事長が経営意欲を喪失したのが突然であったため、医療法人の承継対策にかけられる時間があまりにも少なかったことが、廃院という結果に結びついてしまいました。
その点では不慮の事態といえなくもないのですが、一方では、息子の彰氏が東京にクリニックを開業し、X内科病院の後を継がないことがほぼ確実になった時点で、村井理事長がなんらかの病院承継対策に取り組んでいれば、結果はまったく違ったものになったはずです。たとえば、A氏を後継者としたいのならば、きちんと話をして出資持分を譲渡するなどしておく、あるいは、院外に承継者を求めるならM&Aの準備を少しでも進めておくなどです。
今、自分が元気に経営をしている理事長は、「しばらくはこのままで大丈夫。いざとなったらそのとき考えよう」と思ってしまいがちです。しかし、備えられる部分にはなるべく早期に備えておくことが、先々の心配をなくす経営リスクの管理になるのです。
余語 光
名南M&A株式会社 事業戦略本部 医療支援部 部長
認定登録医業経営コンサルタント登録番号7795号/医療経営士
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