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病院を経営危機に陥らせてしまう“ワンマン理事長”
医師というのは、人の健康を守り、時には命をも救う重大な仕事です。それゆえ、社会的なステータスもあり、人々からの尊敬を集めます。それが病院の理事長ともなれば、なおさらです。
しかし、そのような立場に長く就いていることによって、周囲が意見を言い辛くなり、結果的に裸の王様状態に陥ったり、場合によってはなんでも自分の考えが通るものだと勘違いしてしまう、いわゆる“ワンマン理事長”がいるのも事実です。もちろん、ワンマン理事長であっても、高い経営手腕があってトップダウンで病院経営をうまく舵取りできるのであれば、それはそれで良いともいえます。
ところが実際には、高い経営能力があるわけでもなく、しかも周囲の意見に耳を貸さないがゆえに経営の現状を正しく把握できず、病院を危機に陥らせてしまう理事長も少なくありません。
真剣に病院を支えようとする人が理事長の周りに存在し、最終的には理事長がその声に耳を傾けることができたため、最悪の事態は免れることができたケースもあります。
しかし、理事長の周りにそういう人物がいない、あるいは、いたとしても理事長が最後まで周りの意見を聞き入れることができなければ、最悪の事態まで進んでしまうこともあり得るのです。
約5億円の売上高だったが…理事長交代で業績悪化
X病院は、中部地方の某県にある精神科病院でした。病床数は150床、売上高は約5億円。根上理事長(仮名)は、60代後半で、20年ほど前に先代理事長の父親から病院を継いで、2代目理事長に就任していました。
一般的に、精神的な疾病は物理的な変容を伴わず、完治の状態もはっきり分からないことが多いものです。
そのため、精神科はほかの診療科に比べて、患者からの毀誉褒貶が激しく浴びせられる傾向があります。SNSや掲示板でだれでも簡単に病院への批判を書けるようになってからは、その傾向に拍車がかかっています。
X病院は、ネット上での評判が良いものではありませんでした。そういった評判のどこまでが真実でどこまでが根拠のない誹謗中傷だったのかは、私たちには分かりません。しかしX病院には、看護師などの従業員と理事長との対立があったことは事実でした。理事長が気に入らない看護師には理不尽なほど厳しく当たっていたため、看護師の入れ替わりがかなり激しく、常時不足気味の状況でした。
そういう状況は入院患者さんにはすぐに分かりますので、それがまた悪い評判を生む一因になっていきます。
ネットの評判だけが原因ではないのでしょうが、患者数は減少を続けており、さらにここ2年ほどは、看護師不足のため人員基準が満たせず、150床の病床をフル稼働させられないような状態にもなってしまいました。
当然、業績は赤字であり、キャッシュフローが逼迫するようになってきます。そこで打開策を求めて、根上理事長は私たちに連絡を取ったのです。
理事長の「厳しすぎる希望条件」で譲受先探しは難航
X医療法人の財務状況を確認したところ、キャッシュフローの悪化により現預金が減少し、貸借対照表上、純資産はゼロに近くなっていました。すでに金融機関からは年間売上高にほぼ匹敵する、5億円もの融資を受けており、業績が改善しているならともかく、業績が悪化を続けている状況で追加融資を受けることは不可能です。
X病院を救うためには、早期に資金的援助を含めたサポートをしてくれる譲受先を見つけることが必要であると思われました。
また、業績回復のためには看護師を補って人員基準を満たし、病床をフル稼働させることも必要となります。そのためには人材マネジメントも改善の必要があります。
私たちは当初、同県・近隣県の医療法人など同業界のなかから譲受先を探すことがベターではないかと考えました。看護師の手当てという点では、最もスピーディに対応可能だからです。
ところが、候補探しは難航を極めました。というのも、根上理事長から出される希望条件が非常に厳しかったためです。
その1点目は、理事長が譲渡価額について「最低5億円」を希望したことです。これは現在の売上高とほぼ同額であり、「この地域では病院の新規設立はできないのだから、それくらいのプレミアムの価値はあるだろう」というのが理事長の言い分です。しかし、どのような計算をしてもこの金額は高過ぎると思われました。
ちなみに、根上理事長と同様に、病院の新規設立が難しいということを理由に、その価値を非常に高く見積もって考えている理事長は、意外と多くいらっしゃるようです。確かに、その点は一定のプレミアムの根拠になります。
しかし、譲受側にとってM&Aは地域貢献を前提としながらもビジネスの側面もありますから、そのプレミアム部分に経済的な合理性から外れるほどの高額が提示されれば、譲受先が見つかる可能性は低くなります。
もちろん、M&Aは相対取引ですから、双方が納得さえすればどんな金額でも交渉が成立する可能性はあります。何年もの時間をかけて探索を続ければ希望の金額で譲り受けてくれる相手が見つかるかもしれません。
しかし問題は、X病院の財務状況ではそんな悠長なことをいっている余裕がないということです。「現状のままでは、1年〜1年半後に経営が完全に立ち行かなくなる」というのが、そのときの私たちの見立てでした。
厳しい条件の2点目は、根上理事長が、自分が働けなくなるまで、つまり生涯、理事長の地位に残留できることを希望したことです。
「自分が死んだら、その後は譲受側が病院を好きにしていい。しかし自分が生きている間は、自分が理事長として経営をする」というわけです。これも譲受側には受け入れにくい条件です。
そして最後に、やや細かなことですが、病院経営に関する資料の多くが散逸してしまっており、一般的にM&Aにおいて譲受側が求める資料の多くが存在しない、という問題もありました。資料の再作成は可能ですが、残された時間が少ないなか、当面は詳細資料がないままで話を進めなければならないというのも、厳しい条件です。
業績が極めて厳しく追加融資すら受けられないような状況で、この条件はかなりハードルが高いということを、私たちは根上理事長に丁寧に説明しました。しかし、まったく譲るつもりはないの一点張りです。
それでも、近隣エリアの医療機関を中心に30先以上の譲受先候補に当たって協議したところ、唯一、投資ファンドであるA社に興味をもっていただけました。
希望条件を妥協できずM&A破談し、約1年後に閉院
実際のA社との交渉段階になっても、根上理事長は条件をほとんど変えませんでした。
譲受側との交渉における主な論点①譲渡価額は5億円
⇒根上理事長は「ファンドなら、資金に余裕があるだろうから、ぜひ5億円出してほしい」と主張しました。
しかし、当たり前のことですが、譲受側の資金の多寡と、X病院の価値との間にはなんの関係もありません。A社は、5億円の債務を承継することなどから、譲渡価額は上限でも3億円で、現在不足していて準備中の資料の内容によってはそれよりも下がる可能性があると主張しました。
譲受側との交渉における主な論点②理事長の地位の継続
⇒根上理事長は、今までどおり、理事長を続けることを主張しました。
一般的にいえば、理事長の残留希望は、一概に悪いことだとはいえません。しかし、X病院の場合は、現在の窮状を招いたのは、理事長の病院経営失敗によるところが大です。仮に残留を認めるとしても、経営のどこをどう変えていくのか、明確な改善プランを提示してもらうこと、また、早期に経営改善の結果が出せないのであれば、経営責任を取って辞任をしていただくことを、A社は主張しました。
譲受側との交渉における主な論点③従業員(看護師)の補充について
⇒理事長は早期の看護師の補充を求めました。それに対してA社は、補充にはもちろん尽力するが、そもそもこれまでの定着率が非常に低いことが問題であり、その点を改善しなければ今後も人員不足は解消しないため、人材マネジメントの具体的な改善を理事長に求めました。
このように、いくつもの論点において、譲渡側と譲受側の主張に隔たりが大きく、結局M&Aは成立しませんでした。A社以外に交渉のテーブルにつこうとする譲受先候補は現れず、それから約1年後、X医療法人は経営破綻。病院は閉鎖されました。
アドバイザーから見た事例のポイント
本事例のX病院のように、業績や財務の悪化という点では似たような状況でも、M&A成立で経営再建に成功した事例はあります。M&Aが破談したX病院との違いは、どこにあるのでしょうか?
もちろん、破談の直接の要因は、根上理事長が譲渡価額や理事長の地位などの条件にこだわりまったく譲歩しなかったことや、再建までの時間が限られていたことなどですが、それは結果に過ぎません。
根本的な原因は、根上理事長が医療法人のおかれた現状を正しく認識できなかったため、ということに尽きると思われます。
たとえばM&A成立で経営再建に成功した事例には、病院の状況を正しく把握していた事務長の献身により、理事長も最後は状況を正確に認識することができたケースがあります。それに対して、アドバイスをしてくれる側近もいなかった根上理事長は、実際に経営が破綻するまで、自分がおかれた状況を正確に理解していなかったのでしょう。
そして、正しい現状認識が阻まれたのは、「病院はつぶれないはず」「この地域では病院を新設することはできないのだから、プレミアムな高い価値があるはず」という、誤った常識、いわば“神話”にとらわれてしまったためという部分もあったように思えます。
余語 光
名南M&A株式会社 事業戦略本部 医療支援部 部長
認定登録医業経営コンサルタント登録番号7795号/医療経営士
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