キクノが受け取ることはなかった給金
父に翻弄されるキクノ
キクノにとっては、あまり楽しい思い出のある場所ではないが、それでも8年ぶりの故郷である。
ソリのあわない継母もいまはいない。しばらくは、実家でのんびりと羽を伸ばしたいところだろう。しかし、そんな「贅沢」は許されなかった。
「給金がようけもらえる働き口、父ちゃんが探したるから」
道頓堀から郷里に帰る道中、父はそう囁いた。
その言葉はすぐに実行される。久しぶりの故郷を懐かしむ間もなく、すぐに近隣の酒屋に奉公することが決まった。
今度は給金が支払われたのだが、それはすべて父の懐に入ってしまう。奉公先は実家から徒歩圏内にある。給料日が近くなると、強欲な父が現れて、前借りされてしまう。給金の値上げなどあれこれ要求もしたようで、それで辟易した雇主は3ヵ月でキクノを解雇した。
しかし、父はすぐに彼女の新しい奉公先を見つけてきた。前の雇主よりも給金を弾んでくれているのかもしれないが……。いくら支払われているのかは分からない。父が前借りをしてしまうので、彼女が受け取ることはなかった。
今度の奉公先は、富田林の街中にある豪商の屋敷だった。
この町の歴史は、戦国時代に京都の浄土真宗・興正寺が別院を建立したことに始まる。浄土真宗は戦国大名も恐れる武闘派集団だけに、寺院にも城塞としての機能が求められた。
石川流域に広がる河岸段丘の地は、天然の堀となる川に三方を囲まれ、段丘の崖は土塁として利用できる。浄土真宗の本拠である石山本願寺もまた同様に、淀川流域の河岸段丘に築かれた難攻不落の巨城だった。
天然の堀である石川は、水運を利用した物流にも利用された。河内盆地で産する米や農産物、近隣の山々から切り出された材木など、あらゆる物資が水運によって運ばれてくる。
興正寺別院の周辺には門徒の商人たちが移住し、集まった産品を仕入れて下流域にある消費地の大阪に売りさばく。