キクノが奉公した越井家は代々続く材木商
富田林は河内地方有数の「商売の町」としてにぎわうようになった。
維新後は鉄路や道路網の整備が進み、河川の水運はしだいに廃れてゆく。しかし、キクノがこの町で暮らした大正期は、まだ「商売の町」の面目は保たれていた。
大阪鉄道の富田林駅を降りると、田畑のなかに人家が点在する眺めが広がる。堆肥の臭いが駅前のほうにも漂い、なんとも田舎染みた雰囲気ではある。
鉄路と駅は人家を避けた場所に造られていた。当時の町の中心からは少し離れている。田畑の間に通された畦道のような道を、土煙を上げながら歩く。
やがて道沿いには少しずつ人家が増えきて、100メートルも歩けば家々が隙間なく建ちならぶ町並みになってくる。商店も多い。
さらに進めば、白壁の土蔵や蔵造りの大きな建物が増えてくる。下駄の足音はカランコロンと甲高い響きに変わり、土煙も舞いあがらなくなる。道は石畳に変わっていた。
このあたりが、寺内町と呼ばれる富田林の中心。城の隅櫓と見間違えるような二層の鼓楼がそびえる興正寺別院を中心に、昔からここで商売を続けてきた豪商たちの屋敷や店蔵が建ちならぶ。
キクノが住込みで奉公していた屋敷もこの寺内町の一角にあった。
寺内町は東西南北に石畳の道が碁盤の目状に延び、整然と区画整理されている。彼女が奉公した越井家の屋敷はひときわ大きく、一区画を独占した敷地に建っている。代々続く材木商だという。
「この家の御寮さん(商家の奥さん)は、優しくて物分りがいい」
と、父はその人柄をベタ褒めしていた。
おそらく何ヵ月分もの給金が前借りできたのだろう。そのせいか、彼は最初に挨拶で屋敷にうかがった後は、まったく姿を現さない。現金なものだ。
しかし、父の言葉に嘘はなかった。御寮さんは物腰柔らかく、女中のキクノにも優しい気遣いをしてくれる。ひと仕事終われば、のんびりと茶を飲んでくつろげる。
彼女にとっては贅沢と思えるような時間の使い方も、ここでは許された。