悪縁を断ち切らない限り、明るい未来はない
自由への逃避行
奉公先の御寮さんは、年季が明けたら、キクノに良い縁談を世話してやろうと考えていたようだ。そのため、茶道や礼儀の所作など、嫁入りに必要な様々なことを教えてくれた。
良縁に期待して、未来の夫に運命をゆだねる。この時代、多くの女性たちはそう考えていたようだ。しかし、封印を解かれた彼女の自我は常人の域ではない。まだ会ってもいない男性に賭けるよりも、自分の道は自分で切り開きたい。その思いが強くなっていた。
また、たとえ良縁に恵まれて結婚できたとしても、父との関係を断たない限り、彼女の不幸は続くだろう。今度は婚家に金をたかり続けるはずだ。そうなれば家計は苦しくなるし、夫との関係にもヒビが入るかもしれない。
このまま奉公を続けるにしても、父に給金を奪われ続けて、自由になる金を持つことはできない。結婚による将来設計など考えられなかった。
キクノは2年の年季で奉公していた。その2年分の給金は、父がすべて前借りしている。
20歳までの2年間ということで120円。大卒者の2ヵ月分の賃金にも満たない額だった。それでも彼女には大金である。奉公してから半年が過ぎた頃、いつになっても給料がもらえないことに疑問を抱いて、御寮さんに聞いてみたところ、
「あんた、知らんかったんか……」
キクノとも合意の上だと思っていた御寮さんは絶句したが、すでに後の祭り。 父が前借りできたとしても数ヵ月分だろうとキクノは考えていたのだが、御寮さんの気前の良さが仇になってしまった。
この一件で彼女は、父との縁を切らねばならないと決意を固める。
しかし、父親が金に意地汚いのは、これまでの仕打ちでよく分かっているはず。それを知りながら、何の予防策も打たずに、まんまと2年分の給金を奪われたのは失態であった。
親子の縁をいいことに、やりたい放題の父に対して甘すぎたように思える。いや、親子の縁に執着しているのは、むしろキクノのほうではなかったか?
子どもの頃、継母を探して家を出ていった父を探し歩いた記憶。あの時の不安と寂しさは忘れられず、いまも心の奥底に染みついている。
捨てられたくない。給金をすべて奪われても、それで父の心をつなぎ止めておけるなら。と、その思いが、これまで彼女が味わった不幸の根源。
この悪縁を断ち切らない限り、明るい未来はない。